欠落とは、今日では男女が連れだって行方をくらますことをいうが、江戸時代にはそればかりでなく、失踪(しっそう)(失跡)、すなわち、家を出て他郷へ逃げて隠れることをいった。
貧困その他の理由のために欠落する者があると、村役人は所轄の役人に届け出なければならない。役所はその者の捜査を親類や村役人に命じるが、これには一定の日限が定められる。初めは三〇日を日限(ひぎり)とする。この三〇日間に行方が分らなければ、更に三〇日を延ばして捜査の続行が命じられる。こうして三〇日ずつ六度(六切)まで期限が延長された。後には、最初から「一八〇日(六ヵ月)限尋」を申しつけることになった。一八〇日たっても、欠落人の発見ができないときには、尋ね人は処罰され、改めて「永尋」が命ぜられる。これも後には、百姓が貧窮の余り欠落したような場合には、本人に「帳外」を命じ、「尋ね」は免除されることになった。
欠落人の財産は、親類や五人組、村役人等が管理し、田畑は村が惣作した。相続人がないときは、親類・五人組・村役人に相続人を選定させたが、相続人として跡株の引受人がない場合には、田地を没収して入札をし、年貢の未進分をその代金で支払い、年貢を償(つぐな)った後の残りの田畑は、村惣作にした。