表―44は、処罰されたものの内、武蔵国だけの分を郡別に表わしたものであり、表―45は、その名前を示したものである。
表4-44 郡別伝馬騒動被処罰者表 |
(追放以上の刑のみ,いずれも武蔵国) |
身分 | 名主 | 組頭 | 百姓 | 計 | |||||||||
刑罰 | 郡名 | 児玉 | 榛沢 | 比企 | 児玉 | 榛沢 | 児玉 | 比企 | 入間 | 高麗 | 那賀 | 埼玉 | |
獄門 | 1 | 1 | |||||||||||
遠島 | 1 | 1 | |||||||||||
中追放 | 1 | 1 | |||||||||||
軽追放 | 1 | 2 | 3 | ||||||||||
江戸十里四方追放 | 1 | 1 | |||||||||||
江戸払 | 1 | 1 | 4 | 1 | 1 | 2 | 1 | 11 | |||||
所払 | 1 | 3 | 1 | 2 | 5 | 1 | 13 | ||||||
計 | 2 | 2 | 1 | 10 | 1 | 1 | 3 | 4 | 5 | 1 | 1 | 31 |
(山田忠雄「宝暦明和期の百姓一揆」より) |
表4-45 伝馬騒動の被処罰者名(追放刑以上) |
国郡村名 | 身分 | 名前 | 刑罰 | |
1 | 武蔵児玉郡 児玉村 | 組頭 | 四郎右衛門 | 江戸払 |
2 | 〃 | 〃 | 七郎兵衛 | 〃 |
3 | 〃 | 〃 | 次郎兵衛 | 〃 |
4 | 〃 | 〃 | 武七 | 〃 |
5 | 〃 | 百姓 | 五郎八 | 〃 |
6 | 同国同郡 十条村 | 名主 | 勘左衛門 | 所払 |
7 | 〃 | 組頭 | 三郎兵衛 | 軽追放 |
8 | 〃 | 〃 | 庄兵衛 | 中追放 |
9 | 〃 | 〃 | 勘左衛門 | 所払 |
10 | 同国同郡 関村 | 名主 | 兵内 | 於在所獄門 |
11 | 〃 | 組頭 | 作右衛門 | 所払 |
12 | 〃 | 〃 | 藤左衛門 | 江戸十里四方追放 |
13 | 同国榛沢郡 榛沢新田 | 名主 | 金兵衛 | 江戸払 |
14 | 〃 | 〃 | 善次郎 | 遠島 |
15 | 〃 | 組頭 | 孫右衛門 | 所払 |
16 | 同国比企郡 田中村 | 百姓 | 儀右衛門 | 〃 |
17 | 〃 | 〃 | 三郎右衛門 | 〃 |
18 | 〃 | 〃 | 平次 | 〃 |
19 | 〃 | 〃 | 定右衛門 | 〃 |
20 | 〃 | 〃 | 覚右衛門 | 〃 |
21 | 〃 | 〃 | 清左衛門 | 〃 |
22 | 同国比企郡 野本村 | 〃 | 庄兵衛 | 〃 |
23 | 〃 | 〃 | 七兵衛伜助右衛門 | 江戸払 |
24 | 〃 関堀村 | 名主 | 忠右衛門事善左衛門 | 〃 |
25 | 同国入間郡 吉田村 | 〃 | 新左衛門 | 所払 |
26 | 〃 萱方村 | 百姓 | 友右衛門 | 軽追放 |
27 | 〃 〃 | 〃 | 弥五兵衛 | 〃 |
28 | 〃 片柳村 | 〃 | 重左衛門 | 江戸払 |
29 | 〃 〃 | 〃 | 徳左衛門伜源四郎 | 〃 |
30 | 同国那賀郡 古郡村 | 〃 | 忠右衛門 | 所払 |
31 | 同国埼玉郡 上大越村 | 〃 | 佐左衛門事安左衛門 | 江戸払 |
(佐々木栄一氏作) |
坂戸周辺では、「武上騒動記」に次のような記事がある。
明和二年夏の初めに、藤金新田伝蔵、紺屋(こうや)村彦四郎、天沼村勘之丞は御差紙(召喚状)にて召し呼ばれ、入牢を仰せつけらる。その後、坂戸、下浅羽、上浅羽、厚川、吉田、片柳の村々より大勢御差紙にてまかりいで、宿預け、あるいは入牢を仰せつけられ候うち、片柳村のもの牢死二人、所払い二人、片柳村十左衛門、吉田村新左衛門、右のほか何れも御免なり。
川越・入間地方は明和元年の暮から二年正月にかけて、打ちこわしの波が荒れ狂った地帯であるから、高麗郡と入間郡の一四か村から多くの被処罰者が出ている。
このうち「所払い」となった吉田村名主新左衛門は、打ちこわし勢の鎮圧を幕府に要請するため江戸へ出向いた坂戸・吉田・片柳三か村名主の一人である。彼が一揆発頭人あるいは参加者として処罰されたとは考えられない。この事件では幕府の役人も多数罰せられておるので、あるいは役人との関係が背後にあるのかも知れない。
片柳村の百姓二人が獄内で死亡しているが、他にも牢死する者が多く、「尚風録」によると、半年かそこらの留置期間中、入牢者一〇〇人余りのうち、牢死者の数は三〇人余りもあったという。さすがの幕府も「あまり不憫(ふびん)に思(おぼ)し召し、いかなればかほどまで牢死致すやらん」と調査の結果、待遇改善に着手したという。
どの事件でも入牢者のうちでの牢死者が非常に多い。その場合、牢内で一服盛られて毒殺されたと一般に信じられているが、『江戸の司法警察事典』で笹間良彦氏は、それを否定して次のように書いている。「初牢の者は牢内の臭気(しゅうき)に当って疫病となる。臭気もさることながら、日光も射さず、掃除も行届かず、不衛生で虱蚤(しらみのみ)の巣となっている中に閉じこめられているから、病気になるのは当然である。しかも拷問や牢内掟で身心共にいためつけられているのであるから、ちょっとした風邪でも大病となり、暗殺も行なわれるのであるから、毒殺されたのであろうと世間で疑うのも無理ではなかった。」
〔参考文献〕
佐々木栄一『明和伝馬騒動の基礎的研究』
北沢文武『明和の大一揆』
山田忠雄『宝暦―明和期の百姓一揆』
「狐塚千本鎗」(岡村一郎手写川越市立図書館所蔵)
「御伝馬騒動記」(『新編埼玉県史』資料編11)
「東武百姓一件集書」(『近世社会経済叢書』10)
「天狗騒動実録」
「武上騒動記」(峰岸久治手写川越市立図書館所蔵)
「異本武上騒動記」(『鶴ケ島町史』近世資料編Ⅳ)
「尚風録」
「奥貫家文書」(『川越市史』史料編近世Ⅲ)
佐々木栄一『明和伝馬騒動の基礎的研究』
北沢文武『明和の大一揆』
山田忠雄『宝暦―明和期の百姓一揆』
「狐塚千本鎗」(岡村一郎手写川越市立図書館所蔵)
「御伝馬騒動記」(『新編埼玉県史』資料編11)
「東武百姓一件集書」(『近世社会経済叢書』10)
「天狗騒動実録」
「武上騒動記」(峰岸久治手写川越市立図書館所蔵)
「異本武上騒動記」(『鶴ケ島町史』近世資料編Ⅳ)
「尚風録」
「奥貫家文書」(『川越市史』史料編近世Ⅲ)