第四節 一揆勢の崩壊期と村役人の対応

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 怒濤のように押し寄せた当地方の一揆勢も、川越藩が全面的に一揆勢に対決する姿勢を打ち出し、鉄砲による攻撃を開始すると、強制的に動員された「打ちこわし」人足は急速に戦意を失った。そして「世直し」勢から無断で帰村する人足が多くなった。脚折村ほか四か村にあてた、片柳村を中心とする「下筋村々」から抗議の回状が届いた。
   脚折村・高倉村・三ツ木村・太田ケ谷村・藤金村
  右五ヶ村は川越領分への乱入人の案内をいたし、和談のないうちに引取った様子だが、それでは下々の村々が難渋(困る)するので、早速人足を差出しなさい。もし参らなければ、大小に拘わらず乱入する様子だから、承知しなさい。
   六月十六日           下筋村々人足中より
 これは、一揆勢の要求に対して、村役人や豪農たちが承諾するか拒否するかの返答が定まらない内に、動員された人足共が帰村してしまい、「世直し」勢が孤立するのを恐れて、再度の人足出動を要請したものである。これに対する脚折村の返答は、
  大急ぎ書面で申し上げます。川越様御領分へ乱入のことは、私の村方では決して案内致しません。人足については、朝八時より十時頃までに、二手に分れて出かけました。上吉田村で昼食をし、それから追々高麗川の渡しへ行った様子で、他の場所へ案内するために村役人が出かけたのではありません。悪しく思しめし下さらないようお頼み申します。もし下筋村々の人足衆が帰ってくるようならよろしくお取りなし下さい。もっとも、お指図がありましたから、残りの人足が五人おりますので、すぐに戸宮(とみや)あたりへ向けて出かけさせます。先は右のことを申し上げます。
    寅六月        脚折村
    片柳村御役人中様