窮民手当渡し

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一揆直後の幕府の農民対策は二通りあった。一つは、「悪党共の威を恐れて、よんどころなく米や金を施(ほどこ)すという書付を渡しても、悪党の申す通りの施しをしてはならない」という禁止命令を出すことであり、今一つは、「私欲に迷わず、それぞれ施しを行い、困窮の者を救うよう心がけよ」という富有な農民の貧窮民に対する施行の奨励である。脚折村の出口組と向組の両給役人は早速貧民に対して手当を渡し、その経費を富農が負担した。
    貧人手当方覚え
  六月二十六日
    一女二人  与吉組
    子供二人  くら
   〆金二分二朱遣わす
      (以下略)
   〆金十二両二分也
     (男一人一分、女一人三朱、子供一人二朱の割りで二十四戸分)
 これに対する富農の経費負担は、
   内々出金高 内控え
  一金一両三分宛(ずつ)
    佐平太・織右衛門・助右衛門・友左衛門
   一金一両二朱宛
    文右衛門、惣右衛門、長兵衛、仙助、又四郎、杢右衛門、次郎右衛門、辰五郎
   一金一両宛
    権右衛門、清次郎、秀内
   一金二両 三人割り
    平蔵、太右衛門、栄五郎