大阪・江戸の打ちこわしにせよ、武州一揆にせよ、これらは、幕末になって各地に爆発した庶民蜂起の、単に代表的なものにすぎない。他にも、都市・農村に無数の騒擾が連続して起っていたし、また、騒擾に至らずとも、「世直し」の祈願をこめた民心の底流は各地に渦巻いていた。
積もりに積もっていた民衆の不満や生活破壊は、我慢の限界を越えてついに爆発したものであり、生活の破壊がもはや避けられなくなった大多数の中・貧農層や都市下層民が、現在の秩序そのものに、黙って服従しえないところまで追いつめられていたのである。
幕府や各藩が、支配者としての権威を守り、村落上層民の利益を守るため、おくれた体制を整えて、大砲・鉄砲まで持ちこんで、武器をたずさえない一揆勢に一斉に攻撃に転ずると、一揆勢はもろくも潰滅的打撃を受けて、わずか六日余りで解体した。
「世直し」一揆の目的は、貧民の救済であり、不徳の財宝を蓄積する豪農・村役人に対して壊滅的な打撃を与えて、貧者も富者もない「世均し」の世界を実現することであったが、その目的の達成は瞬時のものにすぎなかった。しかし、ここに示された農民たちの不満や怒りは、たとえそれが幻想的なものであったとしても、根本的に「世直し」の世界を願う一時的な蜂起を起こさせてしまったのである。もちろん、彼らが新しい体制の具体的なプランをもち合せたわけではない。次の社会が封建制の連続か、資本主義社会への変革か、それは彼らの青写真に描かれていない。ただ平和で住みよい社会を望むだけである。慶応二年の「世直し」一揆に示された民衆のエネルギーを結集して明治維新へと押し進めたのは、知識層としての下級武士が、現実に雄藩に蓄えられた軍事力を背景にして、討幕運動に立ち上ったときであった。
〔参考文献〕
中山清孝『近世武州名栗村の構造』
森安彦『幕藩制国家の基礎構造』
大舘右喜『幕末社会の基礎構造』
近世村落史研究会『武州世直し一揆史料』(一)(二)
『鶴ケ島町史』近世資料編Ⅳ
千代田恵汎「坂戸近辺の『世直し』一揆」(坂戸高等学校「研究紀要」第三号)
『日本庶民生活史料集成』第六巻
日本思想大系『民衆運動の思想』
『新編埼玉県史』資料編11
中山清孝『近世武州名栗村の構造』
森安彦『幕藩制国家の基礎構造』
大舘右喜『幕末社会の基礎構造』
近世村落史研究会『武州世直し一揆史料』(一)(二)
『鶴ケ島町史』近世資料編Ⅳ
千代田恵汎「坂戸近辺の『世直し』一揆」(坂戸高等学校「研究紀要」第三号)
『日本庶民生活史料集成』第六巻
日本思想大系『民衆運動の思想』
『新編埼玉県史』資料編11