この嘆願書は、地頭新見伊勢守の御役所を経て道中奉行に提出されたが、村内困窮の事情は他の差村も同様であった。比企郡一四か村・入間郡五か村は、助郷人馬の割当について、桶川宿の問屋・役人を糺問するため、議決を行っている。
村々議定一札の事
一当村々、中山道桶川宿へ当分助郷相勤めらるべき旨の御印状、当四月四日拝見、翌五日より宿方配符の通り、御用相勤め候にて、尤も、村々の内、遠路の村方は当日雇い替え致し、近場村方は正人馬(※註1)御勤め相勤め居り候えども、御印状の御文面にては、定助郷の村々平等に相勤むべきのところ、人馬触れ方に付ては公平の触れ方もこれあり、殊に又、三月中御触れ面にては、諸家様方御国許(もと)へ御引移りの御荷物は、御相対の御賃銭、且つ宿役人・定助郷・当分助郷村々惣代のものども立会い、正実に取斗(はか)らい申すべきの御沙汰畏(かしこ)み奉り候ところ、其の儀なく、日々過当の配符を以て触れ当てこれあり、追々農繁肝要の時節差加わり、一同必至難渋当惑に付、一同申し合せ、其の御筋へ御嘆願申し上げ奉りたく、なお其の上にも、宿方へ御用人馬遣い払いの義、それぞれ懸合い致したく、依っては、懸合いの時宜(じぎ)により如何よう相成るべきや、万一其の御筋へ御申し立て等に相成り候わば、御入用向きは、当村々一同高割りを以て、出金致し申すべき筈。
一御印状仰せ渡されの趣き、定助郷平等に割合せ相勤むべしとの御斗らいのところ、不平(等)の触れ当ての次第、承り届くべき事。
一三月中の御触書、御引移りの通(とおし)人馬、相対賃銭の積り、且つ、宿役人・定助郷・当分助郷の村々の惣代のもの立会い、念を入れ、すべて正実潔白に取斗らい申すべきの御触書の趣き、承り届くべき事。
一当分の助郷四十壱ヶ村の内、それぞれ雇い替えこれあり、払い人馬相勤め候ところ、右遣い払いの廉(かど)、日々書入れ勤め方り届くべき事。
一御下げ札(※註2)、当三月朔日勤め埋め儀申すべしとの御書下げの廉(かど)、勤め方得(とく)と承わり届くべき事。
右の廉々(かどかど)、桶川宿の問屋・役人へ懸合いに及び、承り届くべく候。依っては、前々廉々の御入用向き、村々高割りの儀、聊(いささ)かも相違なく出金致すべく候。後日違背これなきため、村々連印議定、仍って件の如し。
葛(くず)袋 多吉 下青鳥 市助 押垂(おしたり) 半右衛門
今泉 仁惣兵衛 古凍(ふるごおり) 久四郎 早又 猶右衛門
正代(したうだい) 善兵衛 大橋 藤兵衛 岩殿 作左衛門
熊井 善太郎 泉井 折右衛門 奥田 太平
赤沼 勘左衛門 北園部(そのべ) 彦右衛門
北浅羽 新七 今西 新右衛門 金田 才二郎
沢木 宇助 戸口 周蔵
月日(※註3)
(裏書)三枚御書取下さるべ候。尤も、臑折村へ御継ぎ立て下さるべく候。以上 三ツ木村
〔註〕
(1) 「雇い人馬」にして、その雇い銭を出してすませるのではなく、人馬そのものを差出すこと
(2) 公文書などに貼り去げて、意見・理由などを書きつけた紙。付箋。『鶴ケ島町史』近世資料編Ⅲ四一〇ページ参照。
(3) 日付はないが、文久三年六月頃と推定される。同書四一〇ページ。