元治元年七月付の「桶川宿助郷御伝馬入用取立帳」によって、この事件に関して、どれだけの経費を必要としたのか、調べてみたい。直接、支払決算は帳簿上には記されていないが、もとより、村入用の臨時支出という形では、到底払い切れない莫大な費用である。名主の出府日記によると、元治元年七月九日には、訴訟方の桶川宿役人との間に示談が成立し(『鶴ケ島町史』近世資料編Ⅲ)七月一一日には名主は帰村しているので、早速、入用取立を始めたものであろう。
取立金の総額は一四八両一分二朱と銭五一貫四〇六文である。一四八両という金額だけでも、概算五三六万円に換算される。
その内で、脚折村と脚折新田八二人の負担した金額は約七〇両二分三厘余であるから、一戸平均一分二朱である。
個人別でみると、
四両二朱ト四一七文 名主 佐平太
二両一分三朱ト八文 名主 友左衛門
二両二分二朱ト三三二文 組頭 次郎右衛門
三両一分三朱ト五九文 織右衛門
二両二分三朱ト二八八文 助右衛門
少いのは
四一三文 平兵衛
二六三文 祐八
二四一文 太七
二八三文 京栄(新田)
それぞれ負担している。