明治二年九月に「村々名主・組頭・定使の給米等はしばらく旧慣に依らしむ」ということで、幕藩体制そのままであった村々も、明治四年四月に制定された戸籍法によって変革を迫られることになった。
戸籍調査の必要から、新しく区を設定し、戸籍吏として戸長(こちょう)・副戸長をおくことになったのである。この区の規模は「四、五町もしくは七、八村を組み合わすべし」と一応の原則がたてられていたが、「都(すべ)てその時宜(じぎ)と便利に任せ妨げなし」と各府県知事の自由に決めることが許されていた。戸長・副戸長についても、旧来の村方三役を横すべりさせてもよし、別人を用いてもよしと、府県の実情に即して、府県知事の自由に任されていた。