大区・小区の規模については、戸籍法に一応の原則が示されているだけで細かな規則はなく、各府県知事が土地の実状にあわせて決定することになっていた。戸籍法第三則に従い、幾つかの町や村をいっしょにして作った規模で小区がきめられ、また、その数倍の規模で大区がきめられるところが多かった。従来の町村や郡とは全く異なった新統治区域として大区小区がきめられたことは「大区小区の新制を行い、以て旧式の郡・郷・村を一変したる」との政府首脳の言葉で知られるわけである。
埼玉県の場合、明治五年三月に、管内を二四区に分け、各区ごとに会所を設置して御用取扱所と称した。この区は大区に当るが、その下に小区をおいた。しかし、この小区制は明治六年六月に廃止された。明治八年、千葉県から金杉村ほか四二か村が移管されると、これを第二五区とした。
入間県では一一大区九四小区に分け、大区ごとに会所をおいて区務を行わせた。明治六年六月に入間県が熊谷県となった時もそのまま引継がれ、南十一大区と称された。明治九年熊谷県が廃止され、その内の武蔵国分が埼玉県に合併された後も、一一区制はそのまま引継がれ、明治一二年の区制廃止まで続けられた。(『埼玉県市町村合併史』上巻)
南第四大区(入間郡・高麗郡の内)
第一小区(現川越市・鶴ケ島町)
高麗郡(十三村)吉田村 天沼新田 小堤村 平塚村 平塚新田 五味ケ谷村 鯨井村 上戸村 上広谷村 下広谷村 戸宮村 大塚野新田 下小坂村
第四小区(現日高町・飯能市・鶴ケ島町)
高麗郡(十七村)大谷沢村 大谷沢新田 下大谷沢村 高萩村 下高萩村 下高萩新田 田木村 中沢村 芦刈場村 馬引沢村 女影村 女影新田 太田ケ谷村 藤金村 藤金新田 三ツ木村 三ツ木新田
南第五大区(入間郡・高麗郡・比企郡の内)
第四小区(現坂戸町・鶴ケ島町・日高町)
入間郡(十村)森戸村 森戸新田 厚川村 多和目村 浅羽村 四日市場村 萱方村 欠ノ上村 成願寺村 駒寺野新田
高麗郡(六村)脚折村 上新田村 中新田村 下新田村 高倉村 町屋村
これら大小区の区長・副区長は、戸籍事務のほか、その地域の行政事務のすべてを取扱った。彼らの選任は、江戸時代の村役人と違って官選であった。従来の家柄や身分や旧習に一切こだわらずに、新政府にとって役に立つ忠実な人間を採用するためであった。
区戸長の身分は、最初は一般人民の身分であったが、明治七年になって、その権威を高めるために、身分上も官吏に準ずる取扱いとなった。しかし、その給与は官給ではなく、地元負担という措置がとられていた。仕事は国家の行政であり、身分は官吏なみであったのに、給与だけは地元が払うという一方的な仕組みであった。