大小区制下の村

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明治五年に、戸長・副戸長と名を変えた庄屋・名主・組頭らは、従来の地位は依然保持したのであるから、やはり村民の総代と考えられていた。しかし、戸長は国の地方行政事務を分担することが次第に多くなり、国の行政官吏的色彩がだんだん強くなった。その結果、明治七年、区戸長の身分を官吏に準ずることになった。こうなると、他面、戸長が町村民の総代としての色彩は薄くなり、この前後から、戸長は町村民の代表ではないと考えられるようになった。
 このような政府の政策の裏には、維新以来繰返された農民騒擾は、村を単位として起こったのであるから、その共同体的団結が、将来、反政府的運動にまで発展するのを予防する意図が含まれていた。そういう考えから、共同体的団結と切り離した形で、地方の実力者を区戸長に登用し、行政官吏の地位に止めようとしたのであった。
 次に当町内の各旧村々の戸長・副戸長を記すことにする。
第四大区一小区
村名氏名役職備考
戸宮村小林繁三戸長文化一〇(一八一三)一一・二一生
明治元(一八六八)三・一五拝命
明治一一(一八七八)九・二五免
小林源三郎副戸長文政六(一八二三)六・一八生
明治六(一八七三)三・一五拝命
小林喜伝治副戸長弘化元(一八四四)八・九生
明治七(一八七四)六・一八拝命
戸長明治一一(一八七八)九・二五〃
戸長明治一二(一八七九)七・一二〃
藤野副戸長明治一一(一八七八)九・二五申付
大塚野新田新井祐蔵戸長享和三(一八〇三)二・一五生
明治八(一八七五)六・二三拝命
馬橋定治郎副戸長天保一一(一八四〇)二・一五生
明治八(一八七五)六・二三拝命
戸長明治一二(一八七九)七・一二〃
上広谷村長峰半平弘化四(一八四七)一一・二五生
戸長明治四(一八七一)八・二五拝命
上広谷村・五味ケ谷村戸長明治一二(一八七九)七・一二〃
長峰要造副戸長文政八(一八二五)五・六生
弘化三(一八四六)八・二〇拝命
滝島熊造副戸長文政八(一八二五)二・二〇生
明治三(一八七〇)二・一五拝命
滝島仙松副戸長文化八(一八一一)二・三生
弘化三(一八四六)八・二〇拝命
五味ケ谷村岸田愛三郎戸長天保一四(一八四三)七・二一生
明治四(一八七一)一一・一五拝命
滝島政平副戸長文化九(一八一二)七・一〇生
弘化三(一八四六)八・一〇拝命
岸田浅治郎副戸長文政七(一八二四)一・二〇生
明治三(一八七〇)六・二〇拝命
長峰半平戸長明治一二(一八七九)七・一二拝命
(上広谷村戸長と兼帯)
第四大区四小区
三ツ木村中里兵平戸長文政二(一八一九)一・二生
天保八(一八三七)一一拝命
明治一一(一八七八)四・一免
中里源五郎戸長明治一一(一八七八)四・一
戸長明治一二(一八七九)七・一四
新井万蔵副戸長天保七(一八三六)三・一生
慶応三(一八六七)一〇拝命
太田ケ谷村内野竹治郎戸長安政四(一八五七)四・二七生
明治七(一八七四)一二・一四拝命(一七才)
副戸長明治一〇(一八七七)六・四
内野忠三郎副戸長安政四(一八五七)一二・三生
明治七(一八七四)一二・一四拝命(一七才)
内野民三郎副戸長嘉永四(一八五一)一一・三〇生
明治七(一八七四)一二・一四拝命(二三才)
戸長明治一〇(一八七七)六・四〃(二六才)
戸長明治一二(一八七九)七・二五〃
藤金村宮沢喜十郎戸長天保一二(一八四一)四・一二生
明治八(一八七五)一 拝命
戸長明治一二(一八七九)七・一七〃
新井藤五郎副戸長天保九(一八三八)二・七生
明治八(一八七五)一 拝命
村野弥五郎副戸長天保一一(一八四〇)三・一五生
明治八(一八七五)一 拝命
第五大区四小区
森戸村中島幸三郎副区長明治五(一八七二)八・一三拝命
戸長明治八(一八七五)六・八〃
中新田村戸長明治七(一八七四)七・八〃
学区取締
明治八(一八七五)七・二五
道路取締
明治七(一八七四)一〇・二七
三芳組蚕種組合頭取
明治八(一八七五)三・二〇
地租改正惣代人
明治八(一八七五)一二・五
高倉村小川完一郎戸長弘化元(一八四四)五・二〇生
明治七(一八七四)八・八拝命
小学校保護役明治八(一八七五)八・一〇〃
小川弁次郎副戸長弘化三(一八四六)八・七生
明治七(一八七四)八・八拝命
戸長明治一二(一八七九)七・一四〃
岩田登之吉副戸長天保四(一八三三)八・一六生
明治七(一八七四)八・八拝命
山崎元次郎副戸長天保一一(一八四〇)九・二〇生
明治七(一八七四)八・八拝命
脚折村田中佐平太戸長文政二(一八二九)一・一五生
嘉永二(一八四九)三・五拝命
戸長明治一三(一八八〇)五・七選
高沢文助副戸長天保二(一八四一)八・二五生
明治五(一八七二)四・二二拝命
田中平蔵副戸長文政一一(一八二八)一二・二五生
元治元(一八六四)四・一八拝命
田中万次郎戸長明治一二(一八七九)七・一四拝命
註(1)
明治一三(一八八〇)四・二八
入間・高廉郡書記就任
中新田村中島幸三郎戸長明治七(一八七四)拝命
(森戸村戸長兼帯)
高篠勇吉副戸長弘化元(一八四四)三・五生
明治七(一八七四)七・八拝命
高篠太忠郎副戸長天保一三(一八四二)一二・二二生
明治七(一八七四)七・八拝命
戸長明治一二(一八七九)七・一四〃
上新田村小川柳蔵戸長嘉永元(一八四八)一一・一九生
明治六(一八七三)四・二二拝命
副戸長註(2)
明治一二(一八七九)二・一九〃
杉田平松副戸長天保一四(一八四三)五・一六生
明治七(一八七四)八・三拝命
小川弁次郎副戸長弘化二(一八四五)七・七生
明治七(一八七四)八・三拝命
小学校保護役明治九(一八七六)一・七
戸長註(2)
明治一二(一八七九)二・一九
戸長明治一二(一八七九)七・一四
下新田村宇津木佐平次戸長文政五(一八二二)三・一五生
明治八(一八七五)六・八拝命
小鮒熊蔵副戸長天保一〇(一八三九)九・一七生
明治八(一八七五)六・八拝命
戸長明治一二(一八七九)七・一四〃
町屋村中島金蔵戸長文政七(一八二四)一・三生
明治八(一八七五)六・三拝命
中島縫吉副戸長天保六(一八三五)三・八生
明治八(一八七五)六・三拝命
戸長明治一二(一八七九)七・一四〃
    三新法以後の戸長・副戸長
    他村の戸長を兼帯するもの

  〔註〕
  (1) 明治一三年、田中万次郎が郡書記に就任するに伴い、脚折村の戸長選挙が行なわれ、その結果、田中佐平太七六票、高沢文助一票を得票した。
  (2) 明治一二年、上新田の正副戸長は、理由不明で交代している。
 
    戸長・副戸長の任命年令は、生年月の明らかなもの三三人のうち、平均年令は三五歳で、五〇歳以上のものは、七〇歳一人を含む四人であり、一七歳が二人いる。大体において、維新の新体制にふさわしい村役人の若返り現象がみられる。しかし、戸長・副戸長の拝命については、旧幕時代の村方三役就任も、新体制下の戸長・副戸長の拝命も連続して考えられているところをみると、せっかくの若返りも、意識の面では何の変革もなかったように考えられる。