このような政府の政策の裏には、維新以来繰返された農民騒擾は、村を単位として起こったのであるから、その共同体的団結が、将来、反政府的運動にまで発展するのを予防する意図が含まれていた。そういう考えから、共同体的団結と切り離した形で、地方の実力者を区戸長に登用し、行政官吏の地位に止めようとしたのであった。
次に当町内の各旧村々の戸長・副戸長を記すことにする。
第四大区一小区 |
村名 | 氏名 | 役職 | 備考 |
戸宮村 | 小林繁三 | 戸長 | 文化一〇(一八一三)一一・二一生 |
明治元(一八六八)三・一五拝命 | |||
明治一一(一八七八)九・二五免 | |||
小林源三郎 | 副戸長 | 文政六(一八二三)六・一八生 | |
明治六(一八七三)三・一五拝命 | |||
小林喜伝治 | 副戸長 | 弘化元(一八四四)八・九生 | |
明治七(一八七四)六・一八拝命 | |||
戸長 | 明治一一(一八七八)九・二五〃 | ||
戸長 | 明治一二(一八七九)七・一二〃 | ||
藤野国造 | 副戸長 | 明治一一(一八七八)九・二五申付 | |
大塚野新田 | 新井祐蔵 | 戸長 | 享和三(一八〇三)二・一五生 |
明治八(一八七五)六・二三拝命 | |||
馬橋定治郎 | 副戸長 | 天保一一(一八四〇)二・一五生 | |
明治八(一八七五)六・二三拝命 | |||
戸長 | 明治一二(一八七九)七・一二〃 | ||
上広谷村 | 長峰半平 | 弘化四(一八四七)一一・二五生 | |
戸長 | 明治四(一八七一)八・二五拝命 | ||
上広谷村・五味ケ谷村戸長 | 明治一二(一八七九)七・一二〃 | ||
長峰要造 | 副戸長 | 文政八(一八二五)五・六生 | |
弘化三(一八四六)八・二〇拝命 | |||
滝島熊造 | 副戸長 | 文政八(一八二五)二・二〇生 | |
明治三(一八七〇)二・一五拝命 | |||
滝島仙松 | 副戸長 | 文化八(一八一一)二・三生 | |
弘化三(一八四六)八・二〇拝命 | |||
五味ケ谷村 | 岸田愛三郎 | 戸長 | 天保一四(一八四三)七・二一生 |
明治四(一八七一)一一・一五拝命 | |||
滝島政平 | 副戸長 | 文化九(一八一二)七・一〇生 | |
弘化三(一八四六)八・一〇拝命 | |||
岸田浅治郎 | 副戸長 | 文政七(一八二四)一・二〇生 | |
明治三(一八七〇)六・二〇拝命 | |||
長峰半平 | 戸長 | 明治一二(一八七九)七・一二拝命 | |
(上広谷村戸長と兼帯) | |||
第四大区四小区 | |||
三ツ木村 | 中里兵平 | 戸長 | 文政二(一八一九)一・二生 |
天保八(一八三七)一一拝命 | |||
明治一一(一八七八)四・一免 | |||
中里源五郎 | 戸長 | 明治一一(一八七八)四・一 | |
戸長 | 明治一二(一八七九)七・一四 | ||
新井万蔵 | 副戸長 | 天保七(一八三六)三・一生 | |
慶応三(一八六七)一〇拝命 | |||
太田ケ谷村 | 内野竹治郎 | 戸長 | 安政四(一八五七)四・二七生 |
明治七(一八七四)一二・一四拝命(一七才) | |||
副戸長 | 明治一〇(一八七七)六・四 | ||
内野忠三郎 | 副戸長 | 安政四(一八五七)一二・三生 | |
明治七(一八七四)一二・一四拝命(一七才) | |||
内野民三郎 | 副戸長 | 嘉永四(一八五一)一一・三〇生 | |
明治七(一八七四)一二・一四拝命(二三才) | |||
戸長 | 明治一〇(一八七七)六・四〃(二六才) | ||
戸長 | 明治一二(一八七九)七・二五〃 | ||
藤金村 | 宮沢喜十郎 | 戸長 | 天保一二(一八四一)四・一二生 |
明治八(一八七五)一 拝命 | |||
戸長 | 明治一二(一八七九)七・一七〃 | ||
新井藤五郎 | 副戸長 | 天保九(一八三八)二・七生 | |
明治八(一八七五)一 拝命 | |||
村野弥五郎 | 副戸長 | 天保一一(一八四〇)三・一五生 | |
明治八(一八七五)一 拝命 | |||
第五大区四小区 | |||
森戸村 | 中島幸三郎 | 副区長 | 明治五(一八七二)八・一三拝命 |
戸長 | 明治八(一八七五)六・八〃 | ||
中新田村戸長 | 明治七(一八七四)七・八〃 | ||
学区取締 | |||
明治八(一八七五)七・二五 | |||
道路取締 | |||
明治七(一八七四)一〇・二七 | |||
三芳組蚕種組合頭取 | |||
明治八(一八七五)三・二〇 | |||
地租改正惣代人 | |||
明治八(一八七五)一二・五 | |||
高倉村 | 小川完一郎 | 戸長 | 弘化元(一八四四)五・二〇生 |
明治七(一八七四)八・八拝命 | |||
小学校保護役 | 明治八(一八七五)八・一〇〃 | ||
小川弁次郎 | 副戸長 | 弘化三(一八四六)八・七生 | |
明治七(一八七四)八・八拝命 | |||
戸長 | 明治一二(一八七九)七・一四〃 | ||
岩田登之吉 | 副戸長 | 天保四(一八三三)八・一六生 | |
明治七(一八七四)八・八拝命 | |||
山崎元次郎 | 副戸長 | 天保一一(一八四〇)九・二〇生 | |
明治七(一八七四)八・八拝命 | |||
脚折村 | 田中佐平太 | 戸長 | 文政二(一八二九)一・一五生 |
嘉永二(一八四九)三・五拝命 | |||
戸長 | 明治一三(一八八〇)五・七選 | ||
高沢文助 | 副戸長 | 天保二(一八四一)八・二五生 | |
明治五(一八七二)四・二二拝命 | |||
田中平蔵 | 副戸長 | 文政一一(一八二八)一二・二五生 | |
元治元(一八六四)四・一八拝命 | |||
田中万次郎 | 戸長 | 明治一二(一八七九)七・一四拝命 | |
註(1) | |||
明治一三(一八八〇)四・二八 | |||
入間・高廉郡書記就任 | |||
中新田村 | 中島幸三郎 | 戸長 | 明治七(一八七四)拝命 |
(森戸村戸長兼帯) | |||
高篠勇吉 | 副戸長 | 弘化元(一八四四)三・五生 | |
明治七(一八七四)七・八拝命 | |||
高篠太忠郎 | 副戸長 | 天保一三(一八四二)一二・二二生 | |
明治七(一八七四)七・八拝命 | |||
戸長 | 明治一二(一八七九)七・一四〃 | ||
上新田村 | 小川柳蔵 | 戸長 | 嘉永元(一八四八)一一・一九生 |
明治六(一八七三)四・二二拝命 | |||
副戸長 | 註(2) | ||
明治一二(一八七九)二・一九〃 | |||
杉田平松 | 副戸長 | 天保一四(一八四三)五・一六生 | |
明治七(一八七四)八・三拝命 | |||
小川弁次郎 | 副戸長 | 弘化二(一八四五)七・七生 | |
明治七(一八七四)八・三拝命 | |||
小学校保護役 | 明治九(一八七六)一・七 | ||
戸長 | 註(2) | ||
明治一二(一八七九)二・一九 | |||
戸長 | 明治一二(一八七九)七・一四 | ||
下新田村 | 宇津木佐平次 | 戸長 | 文政五(一八二二)三・一五生 |
明治八(一八七五)六・八拝命 | |||
小鮒熊蔵 | 副戸長 | 天保一〇(一八三九)九・一七生 | |
明治八(一八七五)六・八拝命 | |||
戸長 | 明治一二(一八七九)七・一四〃 | ||
町屋村 | 中島金蔵 | 戸長 | 文政七(一八二四)一・三生 |
明治八(一八七五)六・三拝命 | |||
中島縫吉 | 副戸長 | 天保六(一八三五)三・八生 | |
明治八(一八七五)六・三拝命 | |||
戸長 | 明治一二(一八七九)七・一四〃 |
三新法以後の戸長・副戸長 |
他村の戸長を兼帯するもの |
〔註〕
(1) 明治一三年、田中万次郎が郡書記に就任するに伴い、脚折村の戸長選挙が行なわれ、その結果、田中佐平太七六票、高沢文助一票を得票した。
(2) 明治一二年、上新田の正副戸長は、理由不明で交代している。
戸長・副戸長の任命年令は、生年月の明らかなもの三三人のうち、平均年令は三五歳で、五〇歳以上のものは、七〇歳一人を含む四人であり、一七歳が二人いる。大体において、維新の新体制にふさわしい村役人の若返り現象がみられる。しかし、戸長・副戸長の拝命については、旧幕時代の村方三役就任も、新体制下の戸長・副戸長の拝命も連続して考えられているところをみると、せっかくの若返りも、意識の面では何の変革もなかったように考えられる。