この新しい戸籍は、幕府時代の宗門人別帳と、どう違うのであろうか。
第一に、宗門人別帳は族属別(ぞくぞくべつ)方式(身分別による戸籍編成)であったが、この方式をやめて住所地主義(「その住所の地に就てこれを収め、専(もつぱ)ら遺すなきを旨とす」)で、戸籍編成を行っていることである。
これは、一君万民主義を背景にした「四民同一」・「臣民一般」の新しい方針を、戸籍の面で生かそうとしたのであった。それは、統一国家への第一段階であった。更に緊急を要する対策としては「脱藉浮浪の徒」の取締りに迫られていたからでもあった。「脱籍浮浪の徒」とは、維新の激動期に「藩ヲ脱シ、天下ヲカケメグッテ、義ヲトナエ、難ニ殉ゼン」とした各藩の武士が(明治元年八月布告)、今や浮浪の徒となり、天下に落魄(らくはく)(おちぶれる)していることを指して言っているので、彼らは、政府高官を暗殺したり、政府転覆運動を連続的に行ったりしていた。一方、農村では、貢租減免や、当面の凶作・米価騰貴による生活困難のため、政権の転換にともなう政治的混乱のなかから、一撥が噴き出していた。この一撥と「脱籍浮浪の徒」が結びついたとき、政治的危機は深刻化せざるを得なかったのである。この「脱籍浮浪の徒」の取締りのためにも、明治初期の戸籍編成は急がねばならなかった。
第二に、家族の記載順序の相違である。壬申戸籍では、尊属・直系・男系を上位にする書式であり、戸主につづいて祖父母・父母・妻子・孫・兄弟・姉妹等々の順序で、卑族・傍系・女系を下位にする書き方である。
戸主・家族の記載順序
戸主 高祖父母 曾祖父母 祖父母 父 母 妻 子 婦 孫 曾孫 玄孫 兄弟 姉妹 大伯叔父母 伯叔父母 甥姪 従弟 従弟違 又従弟 兄弟姉妹夫妻 大伯父母夫妻 伯叔父母夫妻 従弟以下 夫妻
江戸時代の宗門人別帳は、隠居の父母は最後に記したものが多く、中には老母と末尾に書かれているのを見ると、家族から離れて、家の片隅に一人しょんぼりとすわっている相(すがた)が想像されるほどの老母の扱い方であった。
これは、儒教道徳が支配した江戸時代に、儒教的色彩が弱く、明治時代には逆に強まっていることを示すものである。
第三に、宗門人別帳では、その事務は村役人や寺の受持ちだったのが、今度は、政府がこれを握り、政府の末端にいる、準官吏の戸長が担当したことである。
次に、明治四年一一月の「戸籍並現在人員改帳」を記すことにしたい。
元韮山県御管轄より
入間県御管下と成
高麗郡脚折村
戸籍並現在人員改帳
役人
元韮山県管轄
区九区 脚折村
第壱番
農家持
新井佐右衛門
家族 男壱人 女三人
第弐番
農
柳川忠治郎
第壱番新井佐右衛門
同居
申七月朔日病死
第三番
農家持
平野文四郎
家族 男弐人 女三人
第四番
農家持
平野善之助
家族 男三人 女三人
第五番
農家持
斎藤伊右衛門後家
ゑい
家族 男壱人 女三人
第六番
農家持
高沢文助
家族 男三人 女四人
第七番
農家持
高沢仙助
家族 男弐人 女壱人
雇人 男壱人
第八番
農家持
新井八左衛門
家族 男壱人 女弐人
第九番
農家持
高沢半次郎
家族 男三人 女五人
第十番
農家持
高沢倉吉
家族 男三人 女壱人
第拾壱番
農家持
新井鉄五郎
家族 男壱人 女三人
第拾弐番
農家持
高沢五右衛門
家族 男壱人 女三人
外男三人奉公出稼
第拾三番
農家持
高沢与平次
家族 男弐人 女弐人
第拾四番
農家持
浅野半次郎
家族 男五人 女弐人
外壱人出稼
第拾五番
農家持
斎藤兼吉
家族 男弐人 女弐人
外女弐人出稼
第拾六番
農家持
浅野庄左衛門
家族 男三人 女壱人
外女壱人出稼
第拾七番
農家持
斎藤小右衛門
家族 男壱人 女四人
内女壱人村内へ出稼
第拾八番
農家持
斎藤伊兵衛
家族 男壱人 女弐人
第拾九番
農家持
新井秀蔵
家族 男弐人 女五人
第弐拾番
農家持
高沢藤兵衛
家族 男三人 女五人
第弐拾壱番
農家持
高沢助次郎
家族 男三人 女三人
第弐拾弐番
農家持
高沢儀左衛門
家族 男弐人 女三人
外女壱人出稼
第弐拾三番
農家持
高沢林助
家族 男弐人 女壱人
第弐拾四番
農家持
高沢惣七
家族 男壱人 女壱人
第弐拾五番
農家持
高沢仁右衛門
家族 男弐人 女五人
第弐拾六番
農家持
高沢儀右衛門
家族 男四人 女四人
第弐拾七番
農家持
柳川文蔵
家族 男弐人 女四人
第弐拾八番
農家持
平野六右衛門
家族 男壱人 女弐人
第弐拾九番
農家持
高沢定五郎
家族 男三人 女四人
第三拾番
農家持
新井太右衛門
家族 なし
第三拾壱番
農家持
新井権右衛門
家族 男三人 女弐人
雇人 男壱人
第三拾弐番
農家持
柳川清左衛門
家族 男四人 女弐人
第三拾三番
農家持
平野角蔵
家族 男弐人 女壱人
第三拾四番
農家持
平野伝十郎
家族 男弐人 女弐人
第三拾五番
農家持
平野岩次郎
家族 男四人 女三人
第三拾六番
農家持
平野栄五郎
家族 男二人 女壱人
第三拾七番
農家持
新井周蔵
家族 男三人 女弐人
第三拾八番
農家持
新井武七
家族 男弐人 女五人
第三拾九番
農家持
田中芳太郎
家族 男二人 女三人
第四拾番
農家持
新井安兵衛
家族 男三人 女弐人
第四拾壱番
農家持
安野兵七
家族 男三人 女弐人
外女壱人出稼
第四拾弐番
安野小兵衛
家族 男弐人 女三人
第四拾参番
農家持
田中杢左衛門
家族 男壱人 女五人
第四拾四番
農家持
平野惣右衛門
家族 男四人 女二人
外弐人
メ四人
第四拾五番
農家持
田中太右衛門
家族 男弐人 女弐人
第四拾六番
農家持
高沢清吉
第四拾七番
農家持
田中平右衛門
家族 男壱人 女弐人
第四拾八番
農家持
田中源助
家族 男三人 女壱人
第四拾九番
農家持
田中茂吉
家族 男壱人 女四人
第五拾番
農家持
田中佐平太
家族 男四人 女三人
雇人 男壱人 女弐人
第五拾壱番
田中多七、太平次合併
田中代三郎
第五拾弐番
農家持
田中金蔵
家族 男弐人 女壱人
外女弐人出稼
第五拾三番
農家持
田中豆吉
申(明治五年)
七月十二日病死
第五拾四番
農家持
田中平蔵
家族 男弐人 女弐人
第五拾五番
神官家持
宮本貢
家族 男四人 女四人
第五拾六番
農家持
新井時之助
川越町続小久保村小宮谷五郎方へ未五月より奉公
第五拾七番
農家持
斎藤治郎右衛門
家族 男三人 女弐人
雇人 男壱人
第五拾八番
農家持
斎藤与七跡
ふく
家族 男壱人 女弐人
第五拾九番
農家持
成瀬要吉
家族 男壱人 女三人
第六十番
農家持
成瀬茂吉
家族 男弐人 女弐人
外女壱人出稼
第六拾壱番
農家持
高沢繁蔵
家族 男壱人 女壱人
第六拾弐番
農家持
高沢秀五郎
家族 男弐人 女三人
第六拾三番
農家持
高沢国五郎
家族 男弐人 女壱人
外男壱人出稼
第六拾四番
農家持
町田織右衛門
家族 男三人 女四人
雇人 男壱人
第六拾五番
農家持
町田彦左衛門
家族 男壱人 女三人
第六拾六番
農家持
斎藤関次郎
家族 男壱人 女壱人
第六拾七番
農家持
町田兵右衛門
家族 男三人 女三人
元韮山県管轄
第九区 脚折新田
第壱番
農家持
谷沢秀吉
家族 男三人 女壱人
第二番
当山修験空家
(泰全潰跡)
○学院跡潰
第三番
農家持
高沢栄蔵
家族 男弐人
第四番
当山修験家持
利正院 篤順
第五番
農家持
林慶三郎
家族 男壱人 女三人
第六番
当山修験家持
観竜院鑁海
家族 男五人 女弐人
熊井村へ借家外男壱人
女壱人
元韮山県管轄
第九区 下新田
第壱番
当山修験家持
秀弁
家族 男壱人 女弐人
第二番
当山修験家持
不動院後家むめ
〆戸数弐戸 人員四人
元韭山県管轄
第九区藤金新田
第壱番
羽黒修験家持
大徳院嘉門 (掃部)
家族 男弐人 女弐人
第弐番
農家持
岸田宮治
家族 男壱人 女壱人
第三番
農家持
岸田亀右衛門後家
つや
第四番
農
松沢惣太郎
家族 男 女三人