江戸時代はいうまでもなく封建制度の時代であった。当時の社会では、土地が主要な労働条件であり、社会の全生産のなかで、農業が圧倒的に支配的であった。それで、支配者の経済的基礎は、人口の八〇パーセント以上を占める農民の納める年貢の上におかれていた。支配者はその年貢を確保するために、農民の重視・保護の名目のもとに、あらゆる経済外的強制を行った。すなわち、いろいろの衣・食・住に対する封建的抑圧・束縛・制限を加えた。そして、農民は、連帯責任制度・監察制度・密告制度などで、身動きのできないほどに束縛されていた。こうして、農民は自分自身のためではなく、年貢を生産するために働いた。
このような封建的諸制限が撤廃される日が来た。明治維新の夜明けが来たのだ。新政府の方針は、「百事御一新」・「文明開化」であった。(更始ノ時ニ際シ、外(ソト)、以テ万国ト対峙(タイジ)セント欲セバ」(廃藩置県の詔書)先ずこれらの封建的な制限を撤廃し、新時代へ向けて農民を解放することが急務であった。
それでは、封建的諸制限といわれるものはどんな制限であったか、列挙してみよう。