「拝領地ならびに社寺等の除地の外、村々の地面は素(もと)より都(すべ)て百姓持の地たるべし。」(明治元年一二月一八日、太政官布告)
江戸時代には、農地に対する所有権は二重の構造をもっていた。これを封建的土地所有制度という。それは、領主のもつ完全な所有(領主的土地所有)と、生産者の不完全な所有(農民的土地所有)の二つであった。だから、農民が田畑をもつことは、「所持」といっても「所有」とはいわなかった。それをこの布告では、農民の完全な所有権を確認し、領主のもっていた領主的所有権を否認したのであった。