近代天皇制は確立して、全国統一の新政府はでき上ったが、その財政は、幕府と二六〇余の藩が、それぞれの領地を支配していたそのままの仕方で、農民から取り上げる米、その他の現物年貢に大部分を依存していた。そして、明治六年の祖税収入の九三パーセントは、年貢米と少額の代金納年貢であった。このことは幾多の解決すべき問題をはらんでいた。
(一)旧幕府・諸藩の年貢の取り方は、原則としては同一だが、実施に際しては、それぞれ藩によって異っていた。従って、人民の負担は軽重さまざまであった。それを統一することが中央集権のための重要な課題であった。
(二)国家財政の支出は現金で支払われるのに、収入は米やその他の現物で受取るので、次のような困難が生じる。すなわち、現物年貢はその年の豊凶によって、時価が大きく変動する。これでは正確な歳入予算の編成が行えるはずがない。従って、歳出予算も組むことができない。正確な歳出・歳入予算なしで、どうして複雑な近代国家の行政を執行することができようか。
(三)年貢米などの輸送・保管・販売などの手間と費用は大へんなもので、それが政府の行政事務に繰込まれては、ぼう大な役人を抱えていても、簡単に処理はできない。その上に、検見のたびごとに、役人と農民との間に、いざこざが起こるのを避けられない。
要するに、物納年貢制度は、現物経済の社会で、しかも、日本全国が三百に近い大名に分轄統治されているとき、その狭い領土なら実行可能だが、貨幣経済が支配的な社会で、全国統一な国家税制としては実行不可能である。