鶴ケ島に於る地位等級の決定

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当地方の等級決定の経過については、脚折村戸長田中佐平太の書いた明治一〇年の日記がある。また「地位等級調べ出勤帳」も残っている。これをもとに調べてみよう。
 
 当地方では、大久保村(現、毛呂山町)が模範村に指定された。脚折村の村役人や地主総代は、三人ないし六人、多いときには一〇人が出張して、視察・調査を重ねたようである。明治九年、暮れも押しつまった一二月二九日と三〇日、翌明治一〇年には元日早々、一月二日から始まって、三日、六日と連続して模範村へ出張した。七月二四日頃までに出張日数二六回以上を数える。
 このように、連日視察研究の上、脚折村の等級を決定するのだが、その模様は日誌によって見ることにしよう。
  一月二十四日 万次郎他役人、地主惣代、田方等級。北口より八まん迄。
  二十七日 田方等級に廻る。
  二月九日 西原・若宮、畑等級する。
  十日 等級を附す。
  十一日 等級を附す。
  十二日 等級を附ける。
  十三日 役人、等級附す。
  十五日 役人、地味を見る。
  十六日 村吏・地主惣代、地味を見る。
   午前十一時頃、改正係り宇田川孫四郎殿外六人来る。地□催促。
  十八日 村吏・地主惣代、地味を見る。
  十九日 雪降る。半日、座敷にて等(級)を附す。半日、実地へ行く。
  二十日 村吏・地主惣代、地味を見る。
  二十四日 午後六時、山田八等□仕より等級調べ。二十七日迄に区長へ差出すべき旨御廻状。
  三月十四日 浅羽音吉来る。厚川・萱方は、等級を自儘に附けし由、申し来り候。
  五月十三日 藤金村役場へ、地券書替え願調印仕り、旧券証相預け申し候。
  九月二十八日 田中平蔵、等級引下げ集会に大久保へ行く。
  二十九日 等級の儀につき、村吏・地主惣代集会。
  三十日 等級引下げ地主惣代一同立会い、万次郎、午前十一時迄森戸へ行く。
  十月三日 午後六時半頃、黒須より捜索筋これあり、夕飯差出し候。
  九日 夕刻、大久保へ行く。捺印する。
 当地区では、川角村(現、毛呂山町)が比較村として指定されており、その他、「地位を見に行く」として、毛呂岩井村・下河原村・苦林村・四日市場村・多和目村・大類村・浅羽村・粟生田村など、入間郡に属する諸村へ出張して調査している。
 この日記を見ると、村役人・地主惣代による地味調査が行われた上で、等級が決定されたと思われるが、「持主銘々申シ立テ」て、「適当ニ相定ムベキ事」と規定した施行規則がはたしてこの際、生かされたのであろうか。
 この規則は文字通りに実行することは不可能であった。中央政府には税収入の見積り概算がある。その概算を全国の各府県に割当てて税を徴収する。その割当てにもとづいてまた各府県は管下各町村の税額とする。この方法をとらなければ正確な収入予算は成立しない。その結果は各村々の自主的な等級決定を否定することは必然である。それを考えると、この地位決定は、初めから自主的な「地主銘々申シ立テ」によっては、成立しないことが明らかであった。
 脚折村の地主たちは、この地位決定には不服であった。九月二八日には「等級引下げ集会に、大久保村へ行」ったり、二九日には、村吏・地主惣代が村内で集会をもったり、森戸村へ行ったりしたのであった。ここで気にかかるのは、一〇月三日に、「黒須より探索筋これあり、夕飯差出し候」とあるのは、何を探索するのであろうか。しかし、一〇月九日には「大久保へ行く。捺印する」ことになったのである。
 このようにして確定した当町内の地位等級は表―五、六、七に示す通りである。
表5-5 脚折村地位等級表
種類
等級
壱等 
 
弐等 
 
参等 
 
四等 
 
五等 
 
六等
弐反九畝九歩
七等四町九反八畝五歩壱町六畝拾歩
四町七反三歩四町壱反六畝壱歩
八等弐町五畝歩六町六反九畝歩
三町廿四歩拾弐町弐畝六歩
九等壱町五反五畝八歩拾三町三反八畝拾弐歩
壱町八反七畝拾九歩拾四町壱反九畝拾五歩 内五畝十歩芝地
十等九反五畝廿九歩六町弐反六畝九歩
弐町五反九畝拾三歩五町弐反八畝廿八歩 内壱畝三歩木立
等外壱等 壱反三畝廿五歩三反七畝拾壱歩
 
同弐等 
 
弐拾弐町壱反五畝廿歩六拾三町四反九畝拾弐歩 内五畝拾歩芝地壱畝三歩木立
     宅地等級表
壱等ナシ
弐等九町四反四畝拾歩
九町四反四畝拾歩
 右之通相違無之候也
第五大区四小区 高麗郡脚折村 戸長 田中佐平太
副戸長 田中平蔵
田中修家文書から作成

表5-6 上新田村地位等級表
     上新田村
  地位等級表
種目
等級
壱等 
弐等 
三等 
四等 
五等 
六等壱町壱反七畝四歩
弐町五反四畝弐歩
七等壱町八反五畝廿八歩
弐町四反五畝十八歩
八等壱町壱反七畝廿五歩
七反四歩
九等六町五反八畝五歩
六町五反四畝五歩
十等弐町八反四畝五歩
壱町六反三畝廿六歩
外壱等  壱反五畝五歩
総計   弐拾七町六反八畝廿八歩
     宅地
壱等  七町三反弐畝廿歩
明治九丙子年改正、
同十三年三月ニテ地券証渡る
高篠冨雄家100より作成

表5-7 藤金村地位等級表
   藤金村
   田
等級朱書訂正
壱等三乙三反七畝拾六歩
壱等乙壱町弐反八畝五歩
弐等
三町三反四畝三歩
(五町四反八畝廿八歩)
弐町壱反四畝廿五歩
弐等乙
三等
壱町九反七畝弐歩
(弐町四反六畝拾歩)
四反八畝拾八歩
三等乙
四等
四反六畝拾壱歩
(壱町四反三畝廿六歩)
九反七畝拾五歩
四等乙
五等七乙四反六畝拾九歩
拾壱町五反壱畝拾四歩
等外七畝廿六歩
弐口〆拾壱町五反九畝拾歩
(備考)等級については朱筆で訂正してある。
宮沢仁輔家150より作成