(一)地租改正は農民の負担を軽減するような改正ではなかった。このことは、改正法第六章で宣告している。「地租は地価の百分の一にも相定むべきの処、未だ物品等の諸税目、興らざるにより、先づ以て、地価百分の三を税額に相定め候え共、」と、その理由を述べ、続いて、今後、茶・煙草・材木、その他の物品税を取ることにするから、その収入が二百万円以上に増加すれば、地租はついに百分の一まで軽減する、と約束しているからである。
(二)地租改正によって、土地以外の貢租をも、農民だけに課すようになった。これは、税負担の公平をうたう課税原則に違反したものである。改正法第六則によると、「未だ物品等の諸税目、興らざるにより、先づ以て」とあるように、地租とは物品税・家屋税等の諸税を、その中に含んだものであった。これらの諸税は、商工業者や役人など全国民誰もが納めなければならないものである。改正地租は、それを農民だけに負担させている。
(三)地租の負担者である地主が、耕地を小作させる場合には、小作料を徴収するが、この小作料には地租が含まれている。地租が軽減されると、小作料もその分だけ軽減されるのが当然である。これは小作人の主張である。明治一〇年に百分の三の地租が、百分の二・五に軽減されると、この声は高まって、全国的に広がった。これは地主対小作人の紛糾であり、後年の小作騒議の原因ともなったものである。
(四)地租改正法は、地主・小作関係には手を触れていなかったが、当時、全国耕地のほぼ三分の一は小作地になっていたと推定されるので、小作人の取扱いは重要な課題となることは必然である。しかし、政府は、土地所有者である地主が、納税責任者としたから、小作人よりも地主の方を優遇する政策をとった。
地租改正のさい政府の示した検査例では、一反歩の田に小作人の作り出した総生産物のうち、三四パーセントは地租・村入費などに支出し、同じく三四パーセントは地方取分となり、合せて六八パーセントが小作料となる。残り三二パーセントが小作人の手もとに残るにすぎない。幕末の計算によると、三七パーセントが領主、二四パーセントが地主、合せて六一パーセントを小作料として地主に納めていて、小作人取分は三九パーセントであった。比較すると、領主取分に当る地租は三パーセント、小作人取分七パーセントの減少となる。反対に、地主取分がその分だけ増加したことになる(図4)。
ところが、農産物需要の増大にともない、米価は年々高騰した。地主は小作料を現米でとって、それを売り、現金で定額の地租を納める仕組みになっているから、地主取分の価格も年々上昇した。しかもこの間、小作料はいぜん現物納であり、従って米価騰貴と共に小作料もまた高騰したことになる。
(五)収穫の豊凶にかかわらず、定額の金納が要求されたこと。そればかりではなく、納期が一一月から翌年三月頃迄であったから、出来秋で米価が下落している上に、小農などは、租税納入のために一斉に産米を売却するために、米相場はより以下に下落し、それを知りつつも売りさばかねばならない不利な条件が悪循環した。