町村が承認されたのと同時に、町村の長である戸長をおくことになった。戸長は民選であり、町村住民の代表としての性格をおびることになった。戸長は先ず住民が選挙でえらび、府知事・県令が任命した。今までは住民の町村に対する発言権が認められなかったのに較べ、大きな変化が現われた。
この変化について、大区小区制の時代には、「羈旅(キリヨ)ノ人」すなわち、地元に縁故のない人を区長に任命することがあったが、それでは住民の人情と融和することなく、利害相反することがあって、行政上不利益である。旧幕時代の村役人は、地元の人間だから、感情的にもうまくゆく。たまには、横暴で自分の利益を計ることもあるが、この方が、簡単であり、人情にも適している。各国の制度を見ても、そういう方法をとっているし、自然の良法であることはまちがいない、というのが政府の説明であった。
戸長の選挙は、土地所有者に選挙権が与えられ、記名投票であった。その給料も薄給であった。そのため「大凡(オオヨソ)、戸長トナル者ハ、其ノ町村ニ名望アル者、又ハ、才幹衆ニ超ユル者、又ハ、旧家ニシテ郷閭(キヨウリ)(フルサト)ニ尊重セラルル者等ニシテ、固(モト)ヨリ其ノ町村人民ノ上流ニ居ル者」であった。要するに、政府のねらいは、村の金持で名望家を戸長に公選させて、その権威を通じて、行政を滲透させようとしたのであった。