明治一一年七月に、地方制度の改革に見合った税制度として、地方税規則が公布された。今までの府県税・民費などの諸税をすべて地方税として府県税に統合する。そして、区町村限りの費用は、区町村人民の協議費として、地方税から分離した。
地方税の徴収は、次の税目の順序に従った。
(1)地租の五分の一以内
(2)営業税ならびに雑種税
(3)戸数割
各町村限り、各区限りの経費は、区町村内の人民の協議にまかせ、地方税で支弁してはならない。
こうして、先ず府県税の税源を確保して、府県財政の基礎を固め、区町村費は人民の協議にまかせる、としながらも、重い国家からの委任事務は、今まで通り区町村に負担させることにした。
〔参考文献〕
新編『埼玉県史』資料編19
『明治文化史』法制編
大久保利謙『政治史』Ⅲ
大島美津子『明治のむら』