1 インフレと田舎繁昌記

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 明治一〇年台の経済事情は、前半期のインフレーションと、後半期のデフレーションであった。
 明治新政府は、財政基礎が確立していなかったので、山積する問題を解決するために、不換紙幣を発行することによって、難関を乗り切ろうとしたのであった。「明治政府は紙切れを以て天下を取った」(由利公正)といわれるほどであった。
 紙幣は兌換紙幣を発行することが理想的であるが、不換紙幣でも、或時期になると兌換紙幣に変更されるという予測をもって発行されたのである。しかし、実際は予測を裏切って、不換紙幣のまま放置され、兌換紙幣に変更されることはなかった。ことに、紙幣の増発をよぎなくされたのは、明治一〇年の西南戦争の時であった。戦争直前の紙幣流通高は、一億六百万円にすぎなかったが、三年後の明治一三年一月末には一億七千万円に達し、約七割近くの流通増加となった。このうち、四千二百万円は西南戦費に使用された。(『明治大正史』経済篇)これは全く戦場に投げ棄てたような不生産的な出費であった。「ただカミの力によるのみ」(曾根大蔵大臣)といわれた紙幣は、何の価値もない一片の紙切れで通貨の役割りを果すのだから、便利といえば便利である。だが財政的事情や政治的事情のために濫発されると、ついには財政経済を破壊してしまうのである。
 このように紙幣が濫発された結果、物価は上昇し、反対に紙幣価値は著しく下落した。米だけの相場を見ても、明治六年には一石四円八〇銭であったのに、明治一三~一四年には二倍強に騰貴した。国民は食糧品の暴騰によって、生活の行きづまりに追いこまれた(表―18)。
表5-18 正米価格
(東京深川市場,1石当り)
円 銭
明治64.80
77.28
87.28
95.01
105.55
116.48
128.01
1310.84
1411.20
158.93
166.26
175.14
185.60
194.93
205.00
214.93
226.00
238.94
247.04
257.24
267.38
278.83
288.89
299.65
3011.98
(『体系日本史叢書』生活史Ⅲ)

 一方、米とともに暴騰する農産物の生産者である農民にとっては、黄金時代が現出したのであった。
  近来、本邦ノ人民、往時、襤褸(ランル)ヲマトイタル者ハ新衣ヲ着シ、草舎ニ藁(ワラ)席ヲ敷キタル者ハ板屋ニ畳ヲ布(シ)クニ至レリ。
という「田舎繁昌記」の時代であった。しかし、このことは、地租が定額金納となって、実質は半減されたことになるので、土地所有農民は恩恵にあずかった。なかでも、地主には大きな利益をもたらした。その結果、地主経営の前途に大きな発展の見通しが開けた。
 だが、この好景気も小作人にとっては、素通りする景気にほかならなかった。小作人は全収穫の三二パーセントしか手許(てもと)に残らなかったので、再生産かつかつであり、米を売るだけの余裕はなかったからである。
 その利益をまともに受けたのは地主であった。現物の米を小作人から小作料として納めさせ、それを換金して、定額の地租を納めたので、全収穫高の五〇パーセントから五八パーセントを手取りすることができたからである(五一八ページ図-4参照)。