戸長は純粋の官吏となりて、上官の命は鼎(かなえ)の如くに重んじ、只管(ひたすら)事務を整理することに熱心し、部下の貧民公売処分を受くるものあるを憂い、聯合町村費取立金を以て未納怠納者に繰替え、一時を弥縫(びぼう)するより、意外に公売処分を受くるもの少なし。又、改正後は同役場に衛生委員・勧業委員各一、二名を置き、衛生・勧業の事務を拡張し、又、近日学区を改正し、小学の改良を計るよし。併(しか)し、農家今日の衰頽(すいたい)、聊(いささ)かの月謝・筆墨代さえ自弁すること能(あた)わざる有様なれば、漸次退校するもの多く、この儘(まま)に過ぎ行かば、学校費の徴集むつかしく、ために閉鎖する小学も多かるべし。歎ずべきの至りならずや。
(明治一八年五月二九日「郵便報知新聞」)
〔参考文献〕
小野武夫『農村史』
埼玉自由民権運動研究会『埼玉自由民権運動史料』
井上幸治『秩父事件』
井出孫六『秩父困民党』