第七節 自由民権運動

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 明治七年、征韓論に破れて下野した土佐の板垣退助らが、民選議院設立の建白書を左院に提出した。この建白書は、政府専制の弊害を批判し、天下の公論にもとづく政治を行うために国会の設立を求めたもので、同時に愛国公党を結成した。これが新聞等に掲載されたことから大きな反響を呼んだ。これがきっかけとなって、国をあげての自由民権運動の展開となった。初めは、薩長勢力による藩閥政府の有司専制に不平を抱く士族が中心であったが、のちには、西欧民権思想、特に天賦人権論の影響を受けて、立憲政体を要望するに至った。また、地租改正事業の進行に際して、農民の利害を主張するため、地方民会の設立を要求する豪農の動きが活溌化したので、自由民権運動はこれらの支援を得て、全国的に拡大した。明治一三年には国会期成同盟が結成され、二〇万人余の請願署名を獲得した。
 政府は集会条例などで、圧力を加えたが、こうした動きに押されて一四年の詔勅で、国会開設・憲法発布を約束せざるを得なくなった。