二一年六月に次の通り内務大臣の訓令が発せられ、同時に、具体的な合併処分を規定した「町村合併標準」が示された。
内務大臣訓令(抄)
町村制ヲ施行スルニ就テハ、町村ハ各独立シテ、従前ノ区域ヲ存スルヲ原則トナスト雖モ、其ノ独立自治ノ目的ヲ達スルニハ、各町村ニ於テ相当ノ資力ヲ有スルコト又肝要ナリ。故ニ、町村ノ区域狭小、若シクハ戸口僅少ニシテ、独立自治ニ耐ユルノ力ナキモノハ、コレヲ合併シテ有力ノ町村タラシメザルベカラズ。依テ、其ノ施行ニ際シ、先ヅ府県知事ニ於テ、現今各町村ノ区域、人口及ビ其ノ資力如何ヲ調査シ、左ノ条項ヲ標準トシテ、相当ノ処分ヲナスベシ。
第一条 従来、町村ノ区域広ク、人口多ク、又ハ相当ノ資力アリテ、独立自治ノ目的ヲ達スベシト認ムルモノハ、コレヲ分合スベカラズ。
第二条 前条ニ依リ、独立自治ノ目的ヲ達スルヲ得ズト認ムル町村ハ、コレヲ合併スルヲ要ス。
第三条 町村ヲ合併スルハ、其ノ資力如何ヲ察シ、大小・広狭、其ノ宜(ヨロ)シキヲ量リ、適当ノ処分ヲナスベシ。但シ、大凡(オオヨソ)三百戸乃至五百戸ヲ以テ標準トナシ、猶(ナオ)、従来ノ慣習ニ随(シタガ)イ、町村ノ情願ヲ酌量シ、民情ニ背(ソム)カザルヲ要ス。且(カツ)、現今ノ戸長管轄ニシテ、地形・民情ニ於テ故障ナキモノハ、其ノ区域ノママ合併ヲナスコトヲ得。
第四条 町村ノ合併ヲナストキハ、深ク将来ノ利害得失ニ注意シ、郡・区長及ビ町村吏員ニ就テコレヲ諮詢(シジユン)シ、勉メテ民情ノ帰スル所ヲ察スルヲ要ス。
第六条 合併ノ町村ニハ新タニ其ノ名称ヲ選定スベシ。旧町村ノ名称ハ大字(アザ)トシテコレヲ存スルコトヲ得。尤(モツト)モ、大町村ニ小町村ヲ合併スルトキハ、其ノ大町村ノ名称ヲ以テ新町村ノ名称トナシ、或ハ、互イニ優劣ナキ数小町村ヲ合併スルトキハ、各町村ノ旧名称ヲ参互折衷(セツチユウ)スル等、適宜斟酌(シンシヤク)シ、勉メテ民情ニ背カザルコトヲ要ス。但シ町村ノ大小ニ拘(カカ)ワラズ、歴史上著名ノ名称ハ、成ルベク保存ノ注意ヲナスベシ。
この訓令にもとづいて、町村合併は一、二の例外の地方を除いて、全国各府県で実施された。その結果、二一年末には七万一、三一四町村であったものが、二二年末には、七七・八パーセントが減って、一万五、八二〇町村となった。埼玉県では次の通りである。
表5-22 県内の町村合併実施状況 |
明治二十一年十二月末日現在 | 明治二十二年十二月末現在 | 減少町村数 | |||||
町 | 村 | 合計 | 町村制施行町村 | 未施行町村 | 非施行町村 | 合計 | |
四四 | 一、八六四 | 一、九〇八 | 四〇九 | 四〇九 | 一、四九九 |
『埼玉県市町村合併史』より |
このようにして、町村の再編成が行われたが、その処理に当たっては種々困難な問題に遭遇した。
村は伝統的・封建的な性格をもった生活共同体であり、生活の場として血縁的・地縁的に村民は強固に村に結びついていた。ほとんどの村人はどこかの村民であり、その村に属するという意識をもって暮していた。村民にとって村は「おらが村」である。それがこの町村制によって、大幅に統廃合され、近世からの村の多くは、これによって行政体としての資格を失い、以後は「旧村」と呼ばれるようになるのである。
このような村の統廃合に当って、多くの反対意見や紛議が起こったのは当然である。法典編さんの当事者である金子堅太郎も、町村合併は必要であると認めながらも急激な合併を企てるよりも、先ず町村の自治意識を高揚させたのちに、漸次合併を実施すべきであるという消極的な意見を政府に提出している。
今日、町村ノ費額ハ、昔時ノ町村入費ノ類ニアラズ。事業モ浩繁(コウハン)ニ赴キ、費用モ巨額ニ上リ、到(マヽ)底、今日ノ町村編制法ヲ改正スルコトハ目下ノ急務ナリ。而シテ其ノ改正ハ専ラ昔時ノ質朴ト、今日ノ繁忙トノ衝突ヨリ起ルモノナレバ、勢イ現在ノ町村ヲ合併シ、其ノ区域ヲ広大ニシテ、其ノ経済ニ余裕アラシムルコトヲ勉メザルヲ得ズ。其ノ区域ヲ広大ニシテ、其ノ経済ニ余裕アラシメント欲セバ、必ラズ固有ノ町村ヲ合併セザルヲ得ズ。然レドモ、其ノ合併ノ事タルヤ、今日ノ地方情況ト、人民智識ノ度合トニ依レバ、実ニ言ウベクシテ行ワレザルヲ如何セン。
として、彼の意見の概略を列記している。
一 数百年、五保又ハ五人組ノ慣習ニヨル一町村ヲ以テ一家ノ如ク見做(ナ)シ、一町村ノ吉凶ハ一家ノ吉凶ト同ジク、互イニ相喜ビ相悲シミ、以テ一ノ固有団体ヲナセリ。故ニ、他ノ町村ニ対シテハ、町村ノ事業ヲ共同セザルノミナラズ、風俗・慣習・宗旨・氏神ヲ異ニシ、甚シキニ至リテハ、他町村ト結婚セズ、殆(ホト)ンド敵愾(テキガイ)ノ風習ヲナス事。
一 河水、又ハ灌漑用水ノ上下流ニ位スルガタメ、甲村ハ常ニ使役(シエキ)命令ノ権利ヲ有シ、乙村ハ服従ノ義務ヲ帯ビ、心中常ニ不快ノ念慮ヲ抱キ、争論喧嘩ノ絶エザル事。
一 貧富ノ数町村ヲ合併シタルトキ、若(モ)シ富村ノ人民ニシテ多数ヲ占ムレバ、貧村人民ハ富村ノ使役(シエキ)命令ニ服従シテ、自治制ノ幸福ヲ受有スルコトヲ得ズ。全ク圧抑ノ制度ニ陥(オチイ)ラントス。又、コレニ反シテ貧民ノ人民多数ヲ占ムレバ、富村ノ共有地ヨリ生ズル利潤モ、勤倹シテ儲蓄(チヨチク)シタル金穀モ、悉(エトゴト)ク貧村ノ人民ニ支配浪費セラレ、富村ノ財産ハ全ク貧民ノ口腹ヲ肥スノ材料トナラントスル事。 (以下略)
しかし、金子堅太郎だけでなく、各方面からの強い批判や苦情を浴びながらも、合併は着々進められ、二二年四月一日の市制・町村制の施行までには、その大半を完了したが、一部町村にはなお紛争が後年まで続いたようである。
明治二〇年八月二二日に提出された内調上申書には、当地は表―二三のように記されている。
表5-23 埼玉県町村編成表 |
西入間郡(元高麗郡ノ内) | |||||||||
合併町村 | 現在町村 | ||||||||
名称 | 戸数 | 名称 | 戸数 | 名称 | 戸数 | 名称 | 戸数 | 名称 | 戸数 |
広藤村 | 三五二 | 吉田村 | 四三 | 天沼新田 | 二八 | 下広谷村 | 一〇七 | 上広谷村 | 四一 |
戸宮村 | 三七 | 大塚野新田 | 九 | 藤金村 | 五〇 | 五味ケ谷村 | 三七 | ||
鶴ケ島村 | 三六八 | 太田ケ谷村 | 七八 | 三ツ木村 | 四五 | 三ツ木新田 | 一 | 脚折村 | 八五 |
高倉村 | 六二 | 上新田村 | 四三 | 中新田村 | 二六 | 下新田村 | 二九 | ||
高沢村 | 四一六 | 高萩村 | 一四〇 | 大谷沢村 | 四五 | 下大野沢村 | 四〇 | 下高萩新田 | 五 |
入間郡ノ内森戸新田 | 九 | 入間郡の内駒寺野新田 | 二二 | 町屋村 | 一六 | 田波目村 | 二七 | ||
中沢村 | 五四 | 馬引沢村 | 二四 | 田木村 | 三四 |
これは、試行錯誤による試案であったので、二一年七月一〇日に、県は、町村合併の実施に関する基本的な要項を定め、各郡長に対して、訓令第三四六号を発した。その要旨は、
一、町村は、地形・民情において支障がない限り、現在の戸長役場区域内の町村をもって合併すること。
二、新町村の規模は、三百戸ないし五百戸を標準とすること。
三、新町村の名称は、関係町村の中で大きな町村の名称を用いることを原則とし、その名称の選定にあたり意見が対立した場合には、いずれか一方を採用するか、または相互折衷すること。なお、旧町村の名称は新町村の大字の名称としてこれを存置し、歴史上著名な名称はその如何を問わず保存に留意すること。 (以下略)
この訓令を受けた各郡長は、次のように慎重な手続きを踏んで、郡としての正式な「合併見込案」を作製した。
(1) 聯合戸長や学識経験者を顧問として、各町村の面積・人口・世帯数および資力状況を調査した。
(2) 調査の結果に基いて、十分検討した上で、訓令で示された合併標準によって、交通の便否・地勢・風俗習慣の異同あるいは住民の動向等を参考にして、第一次「合併見込案」を作製した。
(3) この「見込案」を郡内の聯合戸長に送達して、意見を求めた。
(4) 聯合戸長の意見を参考にして、改正すべき個所は改正して、第二次「合併見込案」を決定した。
(5) 郡長から意見を求められた聯合戸長は、管内の各町村議員・総代人および重立った地主等なるべく多数の住民に相談して、民情の把握に努めた。
(6) 郡の見込案に賛成の場合は、議員と総代人の連署で、その旨を開申さした。
異議あるものは、戸長に反対理由を申し出させ、戸長はその理由を詳細取調べの上、戸長自身の意見書を添えて郡長に副申した。
(7) 一方、郡長は管内各地を巡回して、合併の趣旨を懇切丁寧に説明した。紛議をかもしている町村には職員を派見して説諭さした。
しかし、このように周到な計画のもとに、便宜かつ公明な方法を用いて、合併を進めたにも拘わらず、一部の町村では「目前の小利害に眩惑し、或いは、新制度の何ものなるかを深く知らず」、その趣旨を曲解して、苦情や異議を情願(請願)するものが相次いだ。これに対して、書面審査や、職員派遣による再調査を重ね、適当な意見は採用し、妥当でないものは再考を促した。それでもなお意見相反するものは、知事の裁定に委せた。
このように、合併実施には多く苦心を重ねたが、明治二二年三月二三日に、県令甲第七号によって、町村の区域名称の改定が決定した。
県令第七号
町村区域名称左ノ通本年四月一日ヨリ改定ス
但、合併シタル町村ハ従来ノ名称ヲ大字トシテ之ヲ存ス
本文ニ記載ナキ町村ハ其区域名称従来ノ儘(ママ)タルヘシ
明治二十二年三月二十三日 埼玉県知事 吉田清英
武蔵国高麗郡
鶴ケ島村 五味ケ谷村 戸宮村 大塚野新田 脚折村 三ツ木村 三ツ木新田 高倉村 町屋村 藤金村 上新田村 中新田村 下新田村 上広谷村 太田ケ谷村