1 郡会

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 郡会は、部内の町村で選挙した議員と、大地主の間から選出した議員で組織された。議長には郡長がなった。
 町村で選挙する議員の数は、毎町村に一名ずつであるが、二〇名が限度とされた。任期は六年で、三年毎に半数を改選した。
 大地主議員は、町村で選出された定数二〇名のほか、その定数の三分の一を互選する。その任期は三年で、三年毎に全員改選する。大地主とは、郡内で町村税を納める所有地の地価が総計一万円以上の土地をもつ者をいう。しかし、この制度は明治三二年に改正された。当初の目的は、郡内の名望家を議員に加えて、地方自治制の発達に貢献させようとしたのであった。ところが、期待に反してその目的は実現されず、かえって党争の道具になってしまったから、廃止もよぎなくなったのである。
 郡会議員の選挙方法も改正された。町村の区域を選挙区とし、議員の定数は一五人以上三〇人以下である。そして、任期は四年に短縮された。
 郡会議員の選挙権をもつ者は、郡内の公民で、町会議員の選挙権をもち、その郡内で一か年以来、直接国税を年額三円以上を納める者である。被選挙権を有する者は、選挙権の資格と同じだが、直接国税年額五円以上の納入者となっている。
 鶴ケ島を選挙区とする郡会議員は表-24の通りである。
表5-24 鶴ケ島を選挙区とする郡会議員
選挙年月日選挙区住所氏名生年月日退職年月日退職事由
明治二九年九月一日三芳野村、名細村 鶴ケ島村鶴ケ島村脚折五〇番地田中万次郎弘化四年十月明治三一年五月三一日事故
〃三二年九月三〇日名細村、鶴ケ島村名細村吉田一番地小島光生弘化二年正月明治三六年九月二九日満期
〃三六年九月三〇日 同鶴ケ島村三ツ木十一番地金子助五郎元治元年十月七日明治四〇年九月二九日
〃四〇年九月三〇日 同名細村小堤三番地新井治平嘉永二年四月七日明治四四年九月二九日
〃四四年九月三〇日 同鶴ケ島村脚折六三番地町田豊次郎慶応二年三月二五日大正四年九月二九日
大正四年九月三〇日 同鶴ケ島村脚折八一九番地田中平三郎明治六年四月二三日大正六年二月一四日死亡
大正七年三月八日(補欠) 同鶴ケ島村高倉三四番地小谷野平吉元治元年一〇月五日大正八年九月二九日満期
大正八年九月三〇日 同名細村吉田八二番地小島正雄明治六年八月一五日大正十二年三月三一日郡制廃止ニ伴イ失職
『埼玉県入間郡制史』より