2 郡制の廃止

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 郡制は二七年間つづいて、それはそれなりに功績をあげてきたが、大正一二年に廃止されることになった。その理由について、政府の見解は
 二七年間の郡の施行した事業は、実績の見るべきものが甚だ少い。郡の事業は、一町村の行う事業に及ばないことが多い。それは、地方の大きな事業は府県が経営し、小事業は市町村が行うので、郡は府県の行わない、残った仕事を拾ってやるような立場になっているからである。元来、府県の事業と、郡の事業は、はっきりと境界をその間に引くようなものではない。地方の自治団体を三階級に分けておく必要がないことが明らかな以上は、郡を廃して二階級にするのは、行政の簡素化の上で、適当な処置である。(床次内務大臣の提案理由の概略)
 これに対し、郡当局の述懐は
 郡自治体の性格を考えてみると、郡は町村のような完全な自治体ではない。郡長は純然たる国の官吏であって、郡書記もまた県支弁の官吏である。これらの吏員は、国政や県の事務に専念するかたわら、郡自体の事務を処理しなければならぬ。それで、一意専心に自治行政の事務に当ることは困難である。ことに、郡の経費は町村に割当てることになっており、直接、郡民に賦課するわけでもないから、郡民は郡に対して利害を感ずること少く、ややもすれば、郡が自治体であることに無関心である。郡会議員選挙の投票率を見ても、一目瞭然である。最も多いときにも六七パーセントであり、少いときには、わずか四二パーセントにすぎない。
 こうして、県の出張所か、それとも自治体なのか、あいまいな性格のまま、郡役所は消え去ったのである。