一、入間・高麗ノ二郡ハ、従来、一郡治ノ下ニ属シ、民情相同ジク、且、地形に於テモ、入間郡ハ高麗郡ヲ擁シ、又、比企郡ノ一部(植木村)ハ、地形上、入間郡ト離ルベカラザル関係アリ。依テ入間・高麗ノ二郡ヲ廃シ、其ノ区域ト、比企郡ヲ廃シ其ノ区域ノ一部(植木村)トヲ以テ一郡ヲ置ク。
新郡ヲ入間郡ト称スルハ、旧入間郡ノ大ナルニ依ル。
そして、表-25のような統計を加えている。
表5-25 郡の境界変更及び郡廃 |
新郡名 | 旧郡名 | 町村数 | 人口 | 戸数 | 国税 | 地方税 | 町村税 |
入間郡 | 人 | 戸 | 円 | 円 | 円 | ||
入間郡 | 四八 | 一四七、九三三 | 二五、〇一六 | 二〇九、九三五 | 五七、〇八二 | 三四、五八六 | |
高麗郡 | 一五 | 四五、八八九 | 七、六〇八 | 六四、五二一 | 一三、五三九 | 一〇、四九六 | |
比企郡ノー部(植木市) | 一 | 一、二四五 | 一九五 | 一、四六九 | 四〇一 | 五二二 | |
計 | 六四 | 一九五、〇六七 | 三二、八一九 | 二七五、九二五 | 七一、〇二二 | 四五、六〇四 |
新しい入間郡の誕生するまでには、慎重な調査期間をおいた。明治二三年九月二四日の「郡ノ廃置分合ヲ要スル上申」がそれである。
郡ノ廃置分合ヲ要スル理由
一、高麗郡ヲ廃シ、入間郡ニ合スルヲ必要ト認メ候。其ノ理由ハ、入間郡ハ地域広潤(コウカツ)、戸口衆多、資力隨ツテ充足シ、独立自治ノ力充分ナルモ、高麗郡ハ地域狭カラザルモ、戸口多カラズ。資力乏シク、独立自治ノ力充分ナラズ。而シテ、右両郡ニハ曩(サキ)ニ郡区町村編成ノ際、一ノ郡役所ヲ置キ、之レガ事務ヲ管掌セシメ、尓来(ジライ)今日ニ至ル迄、施行上毫(ゴウ)モ不便ヲ感ゼズ、民情ニ於テモ協同一致スルニ支障アルコト無シ。且、右両郡ノ地形タルヤ、入間郡ハ高麗郡ヲ懐抱シテ入字ノ状ヲ為シ、地形上分離スベカラザルモノアルニヨル。
この調査のほか、郡長や人民の意見を加え、水利の便・不便までも上申している。
郡ノ廃置分合ニ関シ、郡長ノ意見答申
要領
高麗郡ヲ廃シ、入間郡ニ合スルハ、将来施政上便利ナルハ勿論、右両郡ノ地形ハ分ツ可(ベ)カラザル形状ニシテ、人情亦協同一致スルニ支障ナキ旨、関係郡長ヨリ答申有之(コレアリ)候。
郡水利ノ便如何
一、入間郡及ビ高麗郡ニ於テハ、一郡内共通ノ水利ナキヲ以テ、其ノ便否ノ点ニ就テハ、別ニ関係ヲ及ボスベキモノ無之(コレナク)候。
〔参考文献〕
『新編埼玉県史』資料編19
『新編埼玉県史』資料編19