しかし、徴兵令には次のように多くの免役条項が列記されていた。
免役制
(一)身長五尺一寸に足りない者。病弱な者、不具者。
(二)当時の役人および役人になるため修業中の者(多くは士族出身)。
(三)戸主、その相続者や養子など。
(四)犯罪人
代人制 代人料二七〇円を納めた者は徴兵免除。この金額は現在では三二七万円に当る。
従って、国民皆兵とはいっても、国民一般に公平に兵役を課することができず、定員の確保に当局は苦しんだ。そのため、明治一二年・一六年と改正が行われたが、明治二二年になって軍制改革にともない、大改正が行われた。その第一条で「日本帝国臣民にして、満十七歳より満四十歳迄の男子は、すべて兵役に服する義務あるものとす」と定めた。免役についても「兵役を免ずるは、廃疾又は不具等にして、徴兵検査規則に照し、兵役に堪えざる者に限る」とした。ここで、例外を認めない「国民皆兵」の原則が確立した。
この徴兵令は、昭和二年の兵役法制定までは、根本的な改正なしに存続した。ただしここでも、一年志願兵制度と、教育者に対する六週間現役制という兵役上の特権制度がつくられた。
〔参考文献〕
石井良助『明治文化史』法制編
大江志乃夫『徴兵制』
「鶴ケ島村郷土地誌」