1 日露戦争前夜

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 日清戦争での清国敗北後、清国はもはや「眠れる獅子」ではなく、生ける屍(しかばね)だということになった。極東の小帝国日本に抵抗らしい抵抗もできないで、敗北を喫した大清帝国の無力さに列強はひとときは唖然とした。が、次の瞬間、死屍に群がる禿鷹(はげたか)のように飛びかかった。そのとき清国は経済的にも列強に頭があがらなくなっていた。戦争中の外債や賠償金などのため、英独仏露の諸国に多額の借款(しゃっかん)をうけていたからである。
 先ず獲物に飛びかかったのはロシアであった。独・仏をさそって講和条約に介入し、日本に遼東半島を還付させただけでなく、一兵も動かさずに遼東半島の二五年租借、および長春・旅順間の鉄道敷設権をもぎ取った。
 イギリスはロシアと対抗するため、日本軍が撤退したあとの威海衛を、旅順・大連と同じ条件で租借することを要求したが、清国は承認するよりほかはなかった。ドイツは極東に根拠地をもたなかったので、山東省で二人の宣教師が殺害されたのを機会に、膠州湾を占領し、九九年間の租借を承認させた。フランスも黙ってはいなかった。仏国兵殺害事件を利用して、広州湾の九九年租借とあわせて、雲南への鉄道敷設と南部三省の鉱山開発権をむしり取った。
 こうして一波は万波を呼び、清国は要所/\をむしり取られた。