明治三七年
二月七日 新井九十郎・高沢源蔵二男応召出発。村内で一八人出発す。有志一同藤金まで送る。
二月一〇日 高沢清三郎より挨拶状。四ツ谷輜重(しちよう)、輸の五。新井九十郎近衛歩兵二の五。
二六日 明神において戦勝祈願。字内一同参集。
三月二五日 田中平吾来る。軍人家族援助費につき残額払い込み願いたいとのこと。
四月二〇日 出征軍人慰労金 一戸平均
一〇四戸、一戸につき七銭二厘
地租一円につき四銭二厘
来月四、五日頃迄に取立つべきこと。
五月五日 田中平蔵来り、出征軍人慰労金、字(あざ)内取立候旨にて持参す。自分立替置き候五円受取り、出金分壱円六〇銭渡す。
六月四日 戦地より高沢清三郎より書面来る。無事の由。
第二回国債の件につき学校に集会あり。
入間郡〆高五六万七〇〇〇円
是を全町村に割り、引受高三八二五円
各字に割り、脚折分一二七五円。
八日 郡役所に立寄る。国債の件、脚折で一五〇〇(円)となし呉(くれ)候わば都合よろしき旨申され候。
一三日 高沢喜一郎より書面。無事、金州付近より。
二六日 戦地より新井九十郎書面来る。
七月一八日 吉川英より、歩兵第三聯隊補充大隊予備見習医官に任命された由。返書を出す。
二九日 坂戸町下浅羽、小塚清八戦死につき葬儀に出席す。
三〇日 高沢卯之助・同清三郎より端書来る。歩兵一等卒岸田文蔵葬式の件、及び本村戦時費補助取消しの件につき、来月一日村会を学校で開く趣き、回章来る。
八月三日 午後より善能寺で、太田ケ谷岸田文蔵葬儀の咄(はなし)をする。戸数一戸につき、平均地租壱円につき四銭ずつ、七日善能寺で取立てることを決める。翌八日、学校で勢揃いして、八時迄に太田ケ谷へ参ること。それより坂戸永源寺へ行き、棺を太田ケ谷へ借入れることを懇請す。
五日 小坂(坂戸市)より端書、伜(せがれ)、明朝七日出発、八日上野停車場出頭の命令あり。
粕谷(義三)より太田ケ谷岸田文蔵の弔辞来る。
維時(これときに)、三十七年八月七日、故陸軍後備兵一等卒岸田文蔵君の霊に告ぐ。今茲(ここ)に二月、征露の大詔赫(かく)として煥発(かんぱつ)せらるるや、君亦召されて軍に従い、征途に上り、風餐露宿(ふうさんろしゆく)、具(つぶ)さに辛酸を嘗め、処々に転戦、大いに功績を樹(た)て、勇名を揚(あ)げられしも、金州南山の激戦において、不幸敵弾に中(あた)り、終に名誉の戦死を遂げらる。何ぞ哀悼に堪(た)えん。噫(ああ)然りと雖も、男児生れて身を軍籍に列(つらな)り、国家千載の一時に遭遇す。須(すべか)らく義勇公に奉じ、死以て君国に報ず可き[ ]、君の戦死は即ち爾(しか)り。其壮烈以て後人の亀鑑(きかん)となり、英名永く竹帛(ちくはく)に垂れん、且(かつ)思えば、皇師の嚮(むか)う所殆んど敵なく、海に陸に連戦連捷(しよう)、威武益々振い、国光日々に揚がる。其の能く□を得たるもの、亦実に君等の殉国の忠勇に因(よ)る。君夫れ以て瞑すべきなり。聊(いささ)か蕪辞(ぶじ)を霊前に致し、以て哀悼の微衷(びちゆう)を表わす。英霊願わくは饗(う)けよ。
衆議院議員 粕谷義三
八月七日 早天、役場に行き、故岸田文蔵氏の墓標五寸角認(したた)む。それより朝飯を終え、直ちに太田ケ谷に行き、本人宅を見舞い、寺に行き、それより内野方に行く。知事代理常見、郡長代理永谷、他小川警部、その他巡査数名来る。一〇時三〇分式始む、一二時三〇分式終る。自分等委員は帰る。一同退散す。
小坂(坂戸市)栗原伜出発の命により、平三郎行き、餞別一円持参す。川越迄送り可申旨申し遣わす。
一六日 戦地、森田より無事の由。新井嘉七より同断。戦地、新井九十郎書面来る。
九月七日 朝、田中金太郎来り、昨夜、宮本一人にて祝勝としてか、神楽を執行したる由。就ては若者などは、惣代人が何も[ ]と申す者これある由申し聞かせ候につき、その義は惣代人は一切知らざること。構うことはこれあるまじく、一五本も右ようの心得これあるならば、一応惣代人方へ係り然るべく、さもなく、なお談にて成したることは、惣代人へ顔あてと申すも不可なからん。そのまま差置き然るべき旨申し答え候。
本日、役場にて惣代人に会い、荷車徴発の件、鶴ケ島にて六二輛、脚折は一一輛の割当の処、二〇輛を選抜し、一一番まで抽籤して定む。明朝一〇時、右の一一台役場へ持参すべき旨申し聞かせ候。
川越内藤信より端書来る。綱吉より二五日、長崎より書面来り、便船次第出発の由。多分本日頃、上海着の日取りなりと申す事に候。
二〇日 平野弥蔵伜忠二郎入営につき、送り旗の義につき高沢亀二郎・田中金太郎来る。右はすべて自分方にて立会い、藤屋にて買求め、認(したた)め申す積り。明日の言いつぎも先刻差出したり。よって墨摺り学校へ高沢参り持参につき、直ちに認め遣わす。
二三日 平三郎、役場にて兵士葬式目標を書く。
一〇月一四日 万二郎、浦和大島中尉葬儀に行く。日帰り。人力(車)金八。五〇銭渡す。
一一月五日 勘助は十五聯隊一大隊一中隊なり。
一九日 厚川小鮒出兵す。才道木にて面会す。高沢清三郎より、戦地より書面来る。
二三日 毛塚(東松山市)の某とか、職人と申し、ロシヤと戦争につき旅順へ人夫に参るつもり。船賃を願いたいと申すにつき、銭遣わす。この者はこれまで懲役に一〇回も参りたる人物にて悪しき[ 」なりと。
一二月三日 泉井(鳩山村)次男より無事入営せし旨、高崎より書面来る。
一八日 小坂(坂戸市)栗原利助伜真太郎、旅順にて戦死の旨報知あり。直ちに見舞状出す。斎藤和十郎、旅順にて七か所銃丸を受け、目下[ ]兵詰病院本隊第三三号歩一ノ二にありと申すことなり。同人宅へ朝見舞に行き、それより書面認め病院へ送る。
二〇日 斎藤和十郎へ負傷見舞い戦地へ出す。
二二日 善吉来る。夜、一〇円貸与す。伜入営の旨。この日、高沢善作入営。
二七日 役場より軍人に対する年始状の件につき告知書来る。
明治三八年
三月二六日 田中平吾・田中虎吉来る。三一日入営の趣き。
二九日 田中平吾・田中虎吉、明日出兵につき送別会に招かれ候。二軒掛け持ち。金太郎方へは一円、寅吉へ五〇銭。
三〇日 平吾・寅吉入営、一同見送る。
四月一〇日 綿貫(わたぬき)民吉より戦地書面来る。
二六日 名細(なぐわし)(川越市)役場より兵士葬式(の通知)来る。
二八日 明後日、上新田に葬式あり。午後九時、字内惣代人議員会葬の事。
三〇日 上新田で兵士葬式。平三郎行く。
五月一日 戦地、高沢清三郎より書面来る。
一七日 二一日午前九時に、義勇隊に関し協議したく、学校へ出頭これありたく、また同日午前八時、軍事上に相談いたしたき旨(以下なし)。
二〇日 義勇艦隊の義捐金の義、二八日迄のこと。
二八日 朝五時頃か、火事/\との声起き、昇り候処、馳出し候処、東の方直ちに現場に至り候処、平野柳蔵の物置焼失せり。
この日義勇艦隊等にて朝八時より集会の触れ致しおき候処、右の取込により午後よりと改む。
午後一二時より善能寺へ集合。義勇艦隊一〇〇円とし、万次郎二〇円、その他は五円・二円・五〇銭とし、調印を取る。
徴兵慰労金臨時醵金六銭ずつ、二度分、役場切符の通り取立つ。
第二国民兵それぞれ申渡しをなす。
二九日 町田辰紀より、戦地より封状来る。
六月一日 新太郎伜より書面、戦地より。
四日 新井嘉吉より無事帰隊の旨通知あり。
二六日 町田辰紀より戦地書面。
七月七日 戦地勘助より無事の報あり。
同断、高沢新太郎伜義、度々万二郎宛て通知あり。
一一日 関口勘助より封状、戦地より来る。
二〇日 平野忠三郎より書面来る。赤坂歩兵一聯隊補充大隊四中隊。
八月七日 万次郎、上新田兵士葬儀に行く。
九日 厚川、小鮒亀二郎戦地台湾より書状。
二二日 高(沢)清三より戦地書面来る。無事。
二三日 高(沢)又へ二男負傷の見舞に行く。
二五日 平吾より書面、上等兵候補生に選抜されたる由。
八月二五日 坂戸牛乳屋林多三郎、眼病にて渋谷分院へ後送されたる由、端書来る。右返書出す。平吾へ返書出す。
九月一日 発地(ほつち)庄兵氏来る。日露講和不平の件、何とか奔走願い度、云々。
五日 万二郎、国民大会を日比谷原へ見に行く。東京講和大反対同志大会、警官圧制のため大乱をひき起す。
二〇日 大宮公園県民大会、八重垣に開く。万二郎会長に推選せられたるも、袴着用これなきにつき辞す。天野三郎その席に着く。決議案を可決し、自分直ちに帰る。
二一日 高倉、内田家兵士葬儀、来る二五日午前一〇時。
兵士慰問金、その他葬儀費、来る一〇月一日取立てる筈。一戸七銭、地租一円につき二銭五厘。
三〇日 戦地の伊原重雄より端書来る。
一〇月五日 泉井、次男より戦地より出した書面来る。無事の由。
一四日 高沢松二郎より戦地出の書面来る。
二一日 平吾より端書。二、三日頃除隊云々。
一一月四日 昨夜、田中平吾帰り、今朝来る。平三郎行き、自分も行く。
小川完一郎来り、近々伜義助凱旋なさるべきにつき、旗印認め願いたき旨。預りおく。
六日 夜、町田豊次郎・高又・高静来る。兵士歓迎の件相談す。字(あざ)の旗一旒(りゆう)を兵士に送ること、及び助番の金徴集の件。
一三日 夜、高沢善吉来る。伜、一二日大連港を出発せられたる由の旨。不日帰りに相成るべく云々。歓迎すべしと申し聞かせ候。
一六日 徴兵の送別会、鶴ケ島村全体、脚折については平野角蔵二男。
一八日 午前、田中里次郎・高沢広造来り、善作歓迎旗認め願いたく申し来る。よって認め遣わす。それより学校より依頼につき、平野角蔵伜入営旗二旒認む。
萱方(かやがた)(坂戸市)町田辰喜より、戦地より端書、凱旋日来る一月末の由にこれあり候。
三〇日 朝六時、平野角蔵伜入営。平三郎送る。
高沢善作凱旋、藤金迄迎えに行く。字内一同実家迄送り込み、茶を飲み、本人の挨拶、町田の音頭にて万歳三唱して直ちに帰る。
一二月四日 平野勝次より世田ケ谷へ入営の旨報告あり。返書送る。
二八日 森太、戦地より帰る。
三一日 新井九十・新井嘉七帰る。一同鎮守へ打寄り、それより三角迄行き、午後四時同所にて迎う。鎮守へ帰り、祝詞をあぐ。神酒を両人預かり、万次郎音頭にて万歳を唱う。それより一同帰宅。関係者は各々行き、[ ]迄送る。酒を出す。