大正デモクラシーの高揚の結果、大正一四年(一九二五)三月、普通選挙法が成立し、満二五歳以上の男子は納税要件なしに参政権を得るようになった。これにより有権者は大幅に増大し、県会議員選挙に関しては、本県では大正一三年一月の有権者一二六、八七二人が昭和三年一月二五日(選挙当日)には二八七、五〇七人となっている。また、衆議院議員選挙の有権者は、全国で従来の三〇〇万人が一、二五〇万人に増加した。鶴ケ島村の県会議員選挙、衆議院議員選挙有権者数は、大正五年(一九一六)、普選法施行直前、昭和三年(一九二八)で、それぞれ以下の様に変化している。
調査時期 | 大正五年九月一五日、一〇月一日 | 普選法施行直前 | 昭和三年九月五日 |
区分 |
県議選 | 二九三人 | 五八九人 | 九五六人 |
有権者数 | (九月一五日調) |
衆院選 | 一三〇人 | 三七〇人 | 九五六人 |
有権者数 | (一〇月一日調) |
資料名 | 鶴ケ島村事務報告書(田中家文書) | 昭和元年鶴ケ島村勢要覧 | 昭和三年鶴ケ島村勢要覧 |
昭和三年(一九二八)二月、前月行なわれた県会議員選挙に続き、普通選挙法による最初の衆議院議員選挙が行なわれた。本県は三つの選挙区に分けられ、北足立郡、入間郡、川越市がそのうちのひとつの区をなした。定数は四名。この時選出された議員は、粕谷義三、秦豊助、田中千代松、定塚門次郎であった。