昭和一四年(一九三九)一月、警防団令が公布され、空襲と非常災害に対処する防護団と消防組とが統合されることになった。これにより同年四月、従来の鶴ケ島村消防組は鶴ケ島村警防団に改組した。また組頭は警防団長、部長は分団長と改称し、団長には村長が就任、一一の分団制がしかれ団長以下五一九名で組織された。
各分団には消防部、警報部、燈火管制部、救護部が置かれ、単なる防火訓練のみならず、空襲を想定した防空訓練が行われた。防空訓練は、各字単位から本州東部一帯(一府五県)という大規模なものまであり、焼夷弾落下を想定したバケツリレーなどを行った。
各警防団本部には、内務大臣より警防精神を表徴した団旗が全国一斉に授与され、分団には分団旗が作られた。
警防団は、昭和二二年四月、消防団令が公布されたことにより消防団に改組されるまで続いた。