昭和二〇年(一九四五)七月二六日、アメリカ、イギリス、中国の三国は、共同でポツダム宣言を発表し日本に無条件降伏を勧告したが、日本政府はこれを黙殺、戦争完遂の意志を表明した。八月六日広島に原爆投下、八日ソ連の対日宣戦、八日長崎に原爆投下、という経過を経て、八月一五日の正午、天皇のラジオ放送を通じてポツダム宣言受諾=無条件降伏が国民に知らされた。この敗戦により、日本の国土は縮小されるとともに連合軍の管理下に置かれることとなった。
実質的な日本管理に当ったのは、連合国軍総指令部(GHQ)であった。GHQは、戦犯容疑者の逮捕、裁判、政治犯の釈放、特別高等警察の廃止、治安維持法の廃止などをつぎつぎに指令し、戦時体制の廃止を図った。また、財閥解体や農地改革をはじめとする、様々な民主化政策を指令した。