二一年一二月に市町村農地委員会が発足し、次いで翌二二年三月には県農地委員会も設置されて、早速、農地の買取りと、譲渡の事業が開始された。
県内平担部では、在村地主の農地保有限度は、二・九ヘクタール(二町九反余)とし、小作地だけの場合は、〇・九ヘクタール(九反余)とした。そして超過分は強制買上げをした。不在地主の場合は全部買上げて、小作人に譲渡した。そして自作化を進めた。
その結果、農地買収の面積は、
田 二七、二〇一町九反二畝
畑 二七、五八六町九反四畝
合計 五四、七八八町八反七畝
他に財産税の物納になった農地が、二、二二〇町三反七畝あったので、当初予定した面積を上廻る農地が、三一六町(一〇〇・四パーセント)に及んだ。
このように、予定以上の成績をあげたのは、地主が積極的に自分の保有面積をも、耕作者に提供・解放した結果である。
二二年に耕作農民に売渡した面積は、
田 二八、〇八二町六反二畝
畑 二八、〇七三町七反二畝
合計 五六、一五六町四反〔マヽ〕七畝
(昭和二四年「埼玉要覧」による)。
他に、売渡しできず国有地となったものが、八二七町八反五畝ある。
こうして、昭和二五年三月までに、県全体で五七、四七三町一反の農地が解放され、耕地の約八〇パーセント以上が自作地となった。
図5-8 埼玉県内の自作地・小作地の推移
『埼玉大百科事典』より
また、改革前には約三万戸(全体の一八・六パーセント)であった自作農家は、改革後には七万九千戸(全体の四三・九パーセント)に増加し、自小作農家は八万一千戸(四五・四パーセント)となり、五万七千戸(三五・二パーセント)であった小作農家は、わずかに一万三千戸(〇・七パーセント)に減少した。