鶴ケ島の農地改革

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わが町においても農地改革が行われたが、基本方針は県に準拠した。その実務は各市町村に一様に設けられた農地委員会の仕事であった。委員会の構成は、小作人五人、自作人二人、地主三人合計一〇人である。昭和二一年一二月に選挙が行われ、各代表が選出された。(表-35)
表5-35 鶴ケ島村農地委員
小作(5名)地主(3名)自作(2名)
高沢力蔵中里正雄田中宗平
清水嘉助小谷野貞之助内野仁太郎
芳野豊次郎長峯要寿
藤野真広
川村信郎
(昭和21年12月)

 会長には自作人より選出された田中宗平氏が選ばれた。
 他に、補助員二〇名が選出されたが、その構成は、各部落より一名ずつ、青年団より二名、農民組合より一名の割合であった。
 農地委員会の仕事は、農地買収計画に基づいて、不在地主の所有する小作地の一部を買収することから始まった。次いで「農地一筆調査規則」による三号および四号申告に関する審議に入った。これは昭和二〇年一一月二三日現在の事実関係をもとに、遡及(そきゅう)買収の徹底をはかったものである。この手続によって、応召・疾病・就学などによる一時賃貸した農地を除いて、かなりの割合で小作側の耕地が認められた。
 買収および売渡しは、昭和二二年七月二日から始められたが、翌年一〇月二日までの間に、次のような実績をあげた。
 買収面積
  田  二六町八反五畝二三歩
  畑 二二七町九反六畝一九歩
     (地主実人員 三九七人)
 売渡し面積
  田  二六町八反三畝九歩
  畑 二二二町七反五畝三歩
     (売渡し実人員 一、三二四人)
 こうして、短期間のうちに進められた農地改革は、二六年三月の政府の農地改革完了とともに終了した。
 以降、農地委員会は農業委員会に切り替わり、小作制度は基本的に消滅した。
 ちなみに、農地委員会の構成は、昭和二四年八月に変更された。これは農地改革の進行中に、従来の地主・自作農・小作農の分類では、農村の実状に合わなくなったからである。その構成は次のようである。
 (1)二反以上の小作地を借りて、耕作している人たちの代表委員二名。
 (2)二反以上の小作地を貸しつけている人たちの代表委員二名。
 (3)前二者に入らない耕作者や、農地の持主の代表委員六名。
   (これは範囲が非常に広く、自作農から一反前後の小作人、および一反前後の地主を含む)
 こうして選出された委員は次の一〇人である。
  清水好良 長峯弘 町田尚次
  中里正雄 川村信郎 小川静雄
  新井武附 岸田良萬 横山時二
  内野幸助
 委員長には中里正雄氏、委員長代理には町田尚次氏が選出された。