小作農家の経営

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農家は、家業としての農業経営によって収入をあげ、その中から家計を支出してゆかねばならぬ。ところが、その収入については、明治・大正以来、農業生産物の商品化が進んだ結果、農家経済は常に農産物市場の騰落によって左右されるようになった。昭和四年には世界大恐慌(パニック)があり、翌五年にはわが国で農業恐慌があった。これは豊年飢饉といわれるもので、米価大暴落(大正六年以来の大安値)の結果、農村は深刻な不況に陥った。そのときの農家の家計簿は表-38のようである。
表5-38 農家の家計
収支目自作農自小作農小作農平均(三者)
円   円   円   円   
昭和五年農家の総所得八三七、三〇一六九八、八一七五七九、三九七七二二、六四一
家計費九一九、四七九七六七、九五四六六二、一七五八〇〇、四六九
差引過不足- 八二、一七八- 六九、一三七- 八二、七七八- 七七、八二八
昭和六年農家の総所得六四一、一四五三五、一一四四八、九七五四一、七四
家計費六三〇、八〇五四六、一二四七〇、二〇五四九、〇五
差引過不足+ 一〇、三四- 一一、〇一- 二一、二三- 七、三一
+黒字 -赤字
小野武夫『近代農村発達史論』より

 昭和五年には小作農はもちろん、自作農・自小作農とも赤字である。翌六年にはわずかに自作農だけが黒字となり、自小作・小作農は依然として赤字であった。当時の惨憺(さんたん)たる貧農の困窮のほどがしのばれる。