町村合併促進法の制定と実施

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昭和二四年に来日したシャウプ使節団は、わが国の行財政全般にわたる勧告を行なったが、その中で、よりよい地方公共団体を創出するために町村合併が必要であることを強調し、二度の勧告を行なった。
 これらの勧告を受けて、政府も町村合併促進のための様々な措置を講じ、自治省からは、町村の適正規模に関する試案が出された。埼玉県においても、昭和二六年三月には町村規模適正化の一端として「町村規模の必要性及び標準」に関する冊子を作成、各市町村に配付した。ここには結論として、
(一) 人口は八、〇〇〇人程度が望ましい。
(二) 面積は三〇~四〇平方キロ程度を限度とする。
(三) 適正規模は、最終的には個々の町村の実態において決定さるべきである。
と述べられている。
 昭和二八年八月には、「町村合併促進法」が制定され、一〇月にその施行をみた。この法律の意図するところは、町村規模の適正化によりその組織及び運営の合理化、能率化を図り、町村の行財政能力を強化し、もって住民の福祉を増進して、町村における地方自治の本旨の充分な実現を期待する、というものであった。
 埼玉県では、同促進法に基づき、二八年一〇月「埼玉県町村合併促進審議会」を設置した。翌二九年二月の審議会では町村合併試案が決定され、知事に対して答申がなされたが、鶴ケ島に関係した部分は次のような内容のものであった。
表5-41 町村合併試案
新町村人口同上面積合併関係町村
町村名人口面積
km2
三〇、五〇八五八・七〇三芳野村三、六〇四八・一〇
勝呂村四、二二八八・八二
坂戸町八、〇一二九・二五
入西村四、〇一七七・四〇
大家村三、八二一六・八八
鶴ケ島村六、八二六一八・二五
『埼玉県市町村合併史』上巻より

 この試案の下、県は活発な啓発宣伝を展開し、町村合併の運動を強力に推し進めた。その結果、「町村合併促進法」施行以来三〇年一一月末日には県の合併計画に対して八四パーセント、国の計画に対して九二パーセントの進捗率を示し、市町村数において一九三の減少をみた。しかし、町村個々にそれぞれの特殊事情もあり、関係町村の協議が整わないままのところもあったため、審議会及び県は、積極的に合併の勧奨及び斡施を行ないその実現に尽力した。合併試案の実現が進んでいなかった鶴ケ島村に関しても、審議会の中に設けられた町村合併促進対策小委員会において、昭和三一年一月、未だ合併の進んでいなかった「吾野ブロック、高荻村、鶴ケ島村の合併につき、その促進方協議」を行なっている。