鶴ケ島村農業会

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太平洋戦争の激化に伴い、主に食糧増産を目的として、銃後農村体制の再編が進められた。このような状況下、昭和一八年三月には「農業団体法」が公布され、農業関係団体の統合が図られた。この法律によって、旧来の農会および産業組合は、農業会に一本化されることとなった。
 昭和一九年一月二五日には、埼玉県知事名で、鶴ケ島村農会および保証責任鶴ケ島信用販売購買利用組合に対して、解散命令が出された。この命令によって、農会と組合の解散に伴う財産・組織・事業等が整理され、それとともに農業会設立委員会が設置されて、鶴ケ島農業会への引継ぎの処理がなされた。鶴ケ島農業会の設立は、二月一五日であった。
 この農業会が戦時下の各市町村で果たすべき役割は次の通りである。
  昭和十九年二月十四日  入間地方事務所長
  各町村農業会・農会・産業組合長殿
   農業団体法第四十二条及同法施行令第六十二条の規定による市町村農業会の事業に対する協力に関する件
  標記の件に関し、昭和十九年一月二十六日農商省令第三号を以て公附相成り候処、右は戦時下食糧其の他、重要農産物の生産確保の、重大使命を負荷(ふか)せしめられたる農業団体の使命完遂のため、農事実行組合・養蚕実行組合等、農業生産の第一線にある部落農業団体として、市町村農業会と緊密なる連繋(れんけい)を保ち、其の事業に充分協力せしめんとするものなるを以て、右に関し、これら部落農業団体の指導に遺憾なきを期せられたく、此段通牒に及び候なり。
 この終わりを知らない長い通牒の要旨は、戦時下で重要な農産物を生産するという重大な使命を帯びた、第一線に立つ部落農業団体が、農業会とよく連絡するように指導せよということである。