昭和二三年二月、鶴ケ島村第一小学校で解散の準備と、資料処理のための農業会総会が開かれた。それに先立つ二二年一一月に農業協同組合法が公布され、鶴ケ島村農業協同組合設立促進委員会も設けられていた。
農業会を解散し、農協を設立することは、「農地改革と並んで、農業及び農村に対する基本政策」であると位置付けられた。農地改革が、土地制度を改革することによって、農業の近代化と、その社会的生産力を発展させることを目的としたのに対し、農業会の解散と農協の設立は、農業団体制度を刷新させることによって、農民の自主的な協同組織を確立させ、農村の民主化と、経営の合理化を図ることが主要な目的であった。この趣旨は、パンフレット「農業協同組合のいろは」などを全国農家への配布や、各種講習会の開催等によって徹底するよう努めた。
鶴ケ島農業協同組合が正式に認可されたのは、昭和二三年六月である。初代組合長は長峰要寿、設立同意者数は七〇七人、出資口数一、八六五口、払込済み出資金三八、一八〇円であった。発足直後の農協はどの市町村でも厳しく、そのため政府は、昭和二六年六月に「農協再建整備法」を制定した。鶴ケ島でも同法に基づいて自力再建の努力を重ねた。この努力は昭和三〇年三月に再建整備法に定められた条件の実現として実を結んだ。そして、四二年九月には、農協事務所が現在地に完成し、新たな飛躍の基礎となった。
農協の定款によると、組合は正組合員と、准組合員とからなり、正組合員は一〇アール以上の土地を耕作するか、あるいは一年のうち九〇日以上農業に従事する農民である。准組合員は農協の事業の利用はできるが、その管理運営に参加することはできない。組合員数は微増をつづけているが、農業従事者の人口が減少するなかでこの増加分は准組合員の加入によるものである(表-54)。
表5-54 鶴ケ島町農業協同組合事業の推移 |
(単位:千円) |
年度 | 組合員数 | 貯金高 | 貸付金 | 共済保有高 | 購買供給高 | 販売扱高 | 指導事業費 |
24 | 707 | 5,734 | 91,191 | ||||
30 | 865 | 23,853 | 17,662 | (33年)3,350 | (33年)32,943 | (33年)79,772 | (33年)318 |
35 | 839 | 31,402 | 20,278 | 61,700 | 45,001 | 95,462 | 340 |
40 | 846 | 207,839 | 68,375 | 507,412 | 67,214 | 90,656 | 570 |
45 | 893 | 439,144 | 127,890 | 619,500 | 97,306 | 139,787 | 878 |
50 | 933 | 1,020,028 | 251,480 | 4,628,600 | 140,460 | 253,908 | 1,280 |
55 | 1,010 | 1,786,106 | 305,666 | 13,710,350 | 307,097 | 391,605 | 2,443 |
60 | 1,057 | 3,516,636 | 359,241 | 25,498,970 | 453,797 | 369,461 | 3,267 |
注:1.初年度を除き,5年毎の統計である。 2.共済保有高以下は,33年より開始。 |
農協の事業としては次の通りである。
(1)信用事業(貯金・貸付)
(2)共済事業
(3)購買事業 生産資材・生活資材の供給
(4)販売事業
(5)指導事業 営農指導・生活指導
このうち、信用事業特に貯金高の伸びが著しいのは、首都近郊農村の共通した現象である。逆に、購買・販売・指導の各事業では、長く横這いないし縮小の傾向がつづいているが、これは農業基盤の縮小を示すもので、信用事業の伸長と同じく、都市化に伴う必然の傾向である。