図5-20 繭の府県別生産割合(昭和54年)
養蚕戸数は昭和四年の一〇一、九五一戸を最高として、第二次大戦前の一五年にも九〇、四二〇戸を数えていたが、戦争中から戦後にかけて、食糧増産と労働人口の減少によって、桑園は荒廃し、抜根が行われて、二一年には六四、三四二戸と最低の養蚕戸数となった。翌二二年には六六、二五一戸とやや増加したものの、昭和一三年に比べて七割程度に減少した。その後は化学繊維との市場競争で低迷をつづけている。(図―21参照)
図5-21 埼玉県の桑園、養蚕戸数、収繭量
このような養蚕経営の推移は、単に埼玉県内の特殊な事情にもとずくものではない。国際商品としての生糸の価格は、輸出先とくに米国の生糸取引相場に呼応した価格である。従って全国の養蚕農家は、米国の景気とその消長を共にするわけである。
その推移を全国的視野で追ってみると、表―55の通りである。
表5-55 わが国の養蚕業推移 |
昭和5年 | 35年 | 45年 | 55年 | 58年 | 59年 | |
桑園面積(千ha) | 708 | 166 | 163 | 121 | 109 | 105 |
養蚕戸数(千戸) | 2,208 | 646 | 399 | 166 | 128 | 114 |
繭生産高(t) | 399,093 | 111,208 | 111,736 | 73,061 | 61,141 | 50,352 |
農林水産省「養蚕統計年報」(1984年)による。 |
生糸は昭和八年までは、わが国輸出の首位にあった。昭和三年の輸出品目を見ると、生糸だけで七億三千二百万円となっており、これは総輸出額の四割近い比率を占めている。しかもこれは、綿糸や毛糸とは違って、原料の悉(ことごと)くを内地で得られるのだから、全部が日本の収入になる勘定である。
しかし、昭和九年には三億円以下にさがり、農村景気を悪化させたが、昭和一〇、一一年になると、米国の景気上昇で売れ行きが増加した。一一年の輸出総額は三億九千三百万円である。これだけ多額の生糸輸出は、昭和一一年についてみると、八割五分までが米国向けである。他は英、仏、その他であるが極めて少額である。
ところが、第二次大戦勃発によって、養蚕業は一変した。主要消費国であった米国への輸出が杜絶したばかりでなく、原料繭の生産は食糧作物との競合のため減産し、また、製糸工場の多くは、軍需産業に転換を命ぜられた。そのため蚕糸業の規模は著しく縮小を余儀なくされた。
戦後、昭和二二年の統計によると、
養蚕戸数 八二万戸
桑園面積 一七万六千町
生糸 一二万俵(七千二百トン)
輸出 千七百俵
となった。
その後は化学繊維の驚異的な発達によって、天然絹糸の需要は減退し、経済不況のために輸出は減少し、蚕糸業は不況の一途をたどった。昭和四五年には、養蚕農家三九万九千戸、桑園面積一六万三千ヘクタール、製糸用繭の生産量は一一万二千トンとなった。
昭和四九年の夏には、生糸の価格が暴落するという異変が起こった。そのため養蚕農家はすっかり生産意欲を失ってしまい、五〇年以後には生産量は急激に減少した。それとともに輸出も減少し、昭和四〇年には千トンで総生産額の五パーセントを輸出したが、四五年には五五トンとなってしまった。
それとは反対に輸入が増加し、四五年には四千トン余を輸入し、世界最大の輸入国となっている。
表5-56 わが国の生糸輸入先(単位トン) |
昭和40 | 45 | 50 | 53 | 54 | % | |
中華人民共和国 | 328 | 1,647 | 1,982 | 3,875 | 3,104 | 73.5 |
韓国 | 7 | 1,919 | 673 | 1,597 | 886 | 21.0 |
ブラジル | - | 105 | 164 | 140 | 141 | 3.3 |
北朝鮮 | 73 | 177 | 189 | 78 | 53 | 1.2 |
ブルガリア | - | 145 | 23 | 29 | 22 | 0.5 |
イタリア | - | 256 | 25 | 6 | 19 | 0.4 |
計× | 458 | 4,279 | 3,074 | 5,729 | 4,225 | 100.0 |
大蔵省「日本貿易月表」による。×その他とも。 |
こうした状勢のもとに、政府は昭和二七年「繭糸価格安定法」を実施した。生糸の輸出増進と、蚕糸業の経営の安定を図るために、繭および生糸の価格の異常な変動を防止するのが目的であった(第一条)。生糸の最低価格を一俵(六〇キロ=一六貫)一九万円と定め、その価格より安くなったときは、政府が一定量の生糸を買上げる政策をとった。そして生糸の輸入は、別に蚕糸事業団をつくって取扱わせることにした。
この政策は、生糸価格を高水準にし、これが絹製品の市場価格を押し上げる結果となった。そうすると、中国や韓国から安い生糸や絹製品がどっと輸入された。輸入を防ごうというので、五一年二月から輸入規制が強化され、絹糸の輸入の事前承認制や、中国・韓国と数量協定を結ぶなどの措置がとられた。