鶴ケ島茶の栄光

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大正八年から、九年を除いて、昭和一一年まで一七回にわたって、狭山製茶品評会が開かれた。会場は川越市や入間川・豊岡・所沢・飯能であった。そのときの審査の結果が、大角力に似せて番附として発表されている。
狭山製茶百斤品評会大番附
蒙御免  行司 埼玉県茶業研究所
勧進元 埼玉県 入間郡川越市 茶業組合
回年第一回第二回第三回第四回第五回第六回第七回
大正八年同十年同十一年同十二年同十三年同十四年同十五年
入賞数二〇点二〇点二三点二一点一九点一八点五九点
横綱鶴ケ島三芳鶴ケ島鶴ケ島鶴ケ島鶴ケ島富岡
大関富岡鶴ケ島富岡三芳富岡富岡豊岡
関脇豊岡富岡大井富岡入間堀兼金子
小結入間高萩日東川越富岡州越鶴ケ島
前頭三芳三ケ島入間入間霞ケ関三芳入間
大井福原豊岡日東福岡霞ケ関所沢
 
回年第八回第九回第十同第十一回第十二回
昭和二年同三年同四年同五年同六年
入賞数五〇点五一点六〇点五四点六五点
横綱富岡一六富岡富岡一七富岡二二富岡一九
大関川越大井鶴ケ島入間鶴ケ島
関脇鶴ケ島入間豊岡鶴ケ島入間川
小結小手指鶴ケ島入間堀兼入間
前頭三芳三芳金子三ケ島小手指
大井小手指宮寺金子堀兼
 
回年第十三回第十四回第十五回第十六回第十七回
同七年同八年同九年同十年同十一年
入賞数九〇点一一一点一〇八点八四点八二点
横綱富岡二五富岡三一富岡三一富岡二三富岡一六
大関入間堀兼堀兼一〇?入間一〇入間
関脇小手指入間小手指小手指鶴ケ島
小結鶴ケ島東金子入間鶴ケ島小手指
前頭三芳金子鶴ケ島金子三芳
堀兼豊岡大井東金子豊岡
備考①前頭二枚目以下は省略した。
②十七回を通じて参加したのは次の三十一市町村である。
 鶴ケ島、富岡、豊岡、入間、三芳、川越、所沢、三ケ島、元狭山、小手指、東金子、堀兼、高萩、宮寺、大井、日東、松井、入間川、藤沢、福岡、福原、加治、名細、高麗川、柳瀬、柏原、金子、吾妻、大田、霞ケ関、水富、

 鶴ケ島の製茶は、大正八年の第一回において横綱に格付けされているが、その後の成績は横綱になること四回、大関三回、関脇三回、小結四回、前頭筆頭一回と、いつも上位にランクされている。ただ一回だけ昭和八年の第一四回で、前頭八枚目に落ちただけである。このランクは、行司が埼玉県茶業研究所であり、勧進元は入間郡・川越市茶業組合であるから、その審査はいつも公正を期したものであろう。
 この番附をみても、鶴ケ島茶はいつもトップに立てるだけの栄光ある銘茶であったわけである。この伝統は今も引きつがれて、各製茶業者は優良な銘茶の製造を心がけて鋭意努めているのである。
 ちなみに、この番附にあげられている三一の市町村は、狭山茶生産地の範囲を示すものであろう。入間郡西部の丘陵地帯や、北部の水田地帯、川越東部の水田地帯の町村は、一七回に及んで開催された品評会に一度も出品していないところをみると、そこが狭山茶の生産地とは思われないからである。ことに鶴ケ島北隣の坂戸市内各村々では一村も出品していない。そうすると、鶴ケ島茶は狭山茶産地の最北端で生産されたのである。