狭山製茶百斤品評会大番附 |
蒙御免 行司 埼玉県茶業研究所 |
勧進元 埼玉県 入間郡川越市 茶業組合 |
回年 | 第一回 | 第二回 | 第三回 | 第四回 | 第五回 | 第六回 | 第七回 | |||||||
大正八年 | 同十年 | 同十一年 | 同十二年 | 同十三年 | 同十四年 | 同十五年 | ||||||||
入賞数 | 二〇点 | 二〇点 | 二三点 | 二一点 | 一九点 | 一八点 | 五九点 | |||||||
横綱 | 鶴ケ島 | 四 | 三芳 | 四 | 鶴ケ島 | 五 | 鶴ケ島 | 七 | 鶴ケ島 | 四 | 鶴ケ島 | 四 | 富岡 | 九 |
大関 | 富岡 | 四 | 鶴ケ島 | 四 | 富岡 | 四 | 三芳 | 二 | 富岡 | 四 | 富岡 | 四 | 豊岡 | 七 |
関脇 | 豊岡 | 二 | 富岡 | 四 | 大井 | 三 | 富岡 | 二 | 入間 | 二 | 堀兼 | 二 | 金子 | 六 |
小結 | 入間 | 二 | 高萩 | 二 | 日東 | 二 | 川越 | 二 | 富岡 | 二 | 州越 | 二 | 鶴ケ島 | 六 |
前頭 | 三芳 | 二 | 三ケ島 | 二 | 入間 | 二 | 入間 | 二 | 霞ケ関 | 一 | 三芳 | 二 | 入間 | 五 |
同 | 大井 | 一 | 福原 | 一 | 豊岡 | 二 | 日東 | 一 | 福岡 | 一 | 霞ケ関 | 一 | 所沢 | 四 |
回年 | 第八回 | 第九回 | 第十同 | 第十一回 | 第十二回 | |||||
昭和二年 | 同三年 | 同四年 | 同五年 | 同六年 | ||||||
入賞数 | 五〇点 | 五一点 | 六〇点 | 五四点 | 六五点 | |||||
横綱 | 富岡 | 一六 | 富岡 | 九 | 富岡 | 一七 | 富岡 | 二二 | 富岡 | 一九 |
大関 | 川越 | 五 | 大井 | 六 | 鶴ケ島 | 七 | 入間 | 七 | 鶴ケ島 | 六 |
関脇 | 鶴ケ島 | 五 | 入間 | 五 | 豊岡 | 五 | 鶴ケ島 | 三 | 入間川 | 五 |
小結 | 小手指 | 四 | 鶴ケ島 | 四 | 入間 | 五 | 堀兼 | 三 | 入間 | 五 |
前頭 | 三芳 | 三 | 三芳 | 四 | 金子 | 四 | 三ケ島 | 三 | 小手指 | 四 |
同 | 大井 | 三 | 小手指 | 三 | 宮寺 | 三 | 金子 | 三 | 堀兼 | 四 |
回年 | 第十三回 | 第十四回 | 第十五回 | 第十六回 | 第十七回 | |||||
同七年 | 同八年 | 同九年 | 同十年 | 同十一年 | ||||||
入賞数 | 九〇点 | 一一一点 | 一〇八点 | 八四点 | 八二点 | |||||
横綱 | 富岡 | 二五 | 富岡 | 三一 | 富岡 | 三一 | 富岡 | 二三 | 富岡 | 一六 |
大関 | 入間 | 八 | 堀兼 | 九 | 堀兼 | 一〇? | 入間 | 一〇 | 入間 | 九 |
関脇 | 小手指 | 七 | 入間 | 九 | 小手指 | 九 | 小手指 | 七 | 鶴ケ島 | 九 |
小結 | 鶴ケ島 | 七 | 東金子 | 六 | 入間 | 八 | 鶴ケ島 | 六 | 小手指 | 七 |
前頭 | 三芳 | 六 | 金子 | 五 | 鶴ケ島 | 八 | 金子 | 五 | 三芳 | 六 |
同 | 堀兼 | 六 | 豊岡 | 五 | 大井 | 六 | 東金子 | 四 | 豊岡 | 五 |
備考①前頭二枚目以下は省略した。 ②十七回を通じて参加したのは次の三十一市町村である。 鶴ケ島、富岡、豊岡、入間、三芳、川越、所沢、三ケ島、元狭山、小手指、東金子、堀兼、高萩、宮寺、大井、日東、松井、入間川、藤沢、福岡、福原、加治、名細、高麗川、柳瀬、柏原、金子、吾妻、大田、霞ケ関、水富、 |
鶴ケ島の製茶は、大正八年の第一回において横綱に格付けされているが、その後の成績は横綱になること四回、大関三回、関脇三回、小結四回、前頭筆頭一回と、いつも上位にランクされている。ただ一回だけ昭和八年の第一四回で、前頭八枚目に落ちただけである。このランクは、行司が埼玉県茶業研究所であり、勧進元は入間郡・川越市茶業組合であるから、その審査はいつも公正を期したものであろう。
この番附をみても、鶴ケ島茶はいつもトップに立てるだけの栄光ある銘茶であったわけである。この伝統は今も引きつがれて、各製茶業者は優良な銘茶の製造を心がけて鋭意努めているのである。
ちなみに、この番附にあげられている三一の市町村は、狭山茶生産地の範囲を示すものであろう。入間郡西部の丘陵地帯や、北部の水田地帯、川越東部の水田地帯の町村は、一七回に及んで開催された品評会に一度も出品していないところをみると、そこが狭山茶の生産地とは思われないからである。ことに鶴ケ島北隣の坂戸市内各村々では一村も出品していない。そうすると、鶴ケ島茶は狭山茶産地の最北端で生産されたのである。