4 鶴ケ島の商業の推移

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 昭和三〇年までは商業の動向にさしたる変化はみられなかった。それが昭和四〇年以降になると、町人口の急増と期を一にして商業基盤に変化が生じ始め、現在に至る商業の発展を迎えるようになった。
 昭和三九年から五七年までの商店数・従業員・年間販売額は、表―64のように推移している。
表5-64 鶴ケ島町商業の推移
項目商店数従業員数年間販売額(万円)
年別
昭和397817354,370
4111127493,243
43134354135,162
45161522305,501
47185601413,267
49213690601,110
512469481,076,821
543171,1161,621,908
574412,0933,707,628
(注)飲食店は含まない
「商業統計」による

 これらの項目は、埼玉県の平均と比較して際立った伸長を示している。特に五四年~五七年の増加が著しい。
 将来の展望も明るく、埼玉県商工部による「鶴ケ島町広域商業診断勧告書」(昭和六一年刊。以下「勧告書」とする)は、「将来性豊か、潜在成長力をもつまち」と規定している。しかしその反面、「都市基盤のアンバランスと、商業基盤の未成熟」との指摘もある。
 「勧告書」は、町の商業基盤を考える場合、次のような特有の都市環境が背景にあるとしている。
 (ア)隣接の川越市・坂戸市・日高町と深い関わりがあること。
 (イ)鉄道が東、北の周辺部を走り、それにつれて、周辺部から市街化され、中央部には市街化調整区域が多く残されていること。
 (ウ)従って、商業集積が川越市・坂戸市との境の地域に偏在していること。
 (エ)町内を走る関越自動車道・国道四〇七号等の自動車交通網は、東上線とともに買物行動の広域流動化を促進していること。
 このような商業基盤の上に立って、鶴ケ島町では、食料品や日用雑貨等の最寄(もより)商品を中心とした、いわゆる最寄商圏を形成している。商品全体からみると、川越および坂戸商圏に屈した複合構造を示している。これは、川越市と坂戸市という両商圏の狭間(はざま)に位置するという地理的要因、および県全体、周辺市町と比較しても、特に低い昼間の人口比率に関係する。

図5-28 昼間人口比率
資料:国勢調査から作成

 今後、マクロ的環境変化とともに、町役場の移転、交通網(首都圏中央連絡道路等)の整備、土地区画整理事業の進展などの地域環境変化が予測されるが、これらの変化に対応した鶴ケ島商業の振興と、近代化への努力が現在つづけられている。

昭和60年の鶴ケ島駅前通商店街


昭和30年頃の同所