戦後の道路交通

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戦後、モータリゼーションの驚異的な発達によって、自動車交通量は著しく増大し、それに伴い道路網の整備も進められた。
 自動車数は、昭和二九年と六〇年とを比較すると、表―65のような増大ぶりを見せている。
表5-65 車種別自動車数
昭和29年4月昭和60年3月,4月
種類台数種類台数
自動車乗用車0乗用車9,382
貨物車7貨物車3,251
小型車1乗合車29
オート三輪車39オート三輪車0
二輪車原動機付自転車12125cc未満4,358
自動自転車8125cc以上600
その他自転車1,452特殊用途車100
リヤカー607大型特殊車38
牛馬車118小型特殊車20
荷車168農耕用特殊車160
「坂戸行政支会町村勢要覧(昭和29年版)」から作成「統計つるがしま(昭和60年版)」から作成

 国道としては、昭和五〇年に関越自動車道が開通、それを交差して延びる一般国道四〇七号(昭和五七年国道認定)との接点にインターチェンジが設けられた。
 県道は、川越―越生線、及び川越―坂戸―毛呂山線が走っている。
 町道に関しては、昭和四九年度末の時点で実延一九七キロ、舗装率一三・七パーセントであったものが、五九年度末にはそれぞれ二六三キロ、五〇・八パーセントとなっている。
 バス路線については、昭和三〇年代初めより、坂戸駅―入間川駅線、脚折経由坂戸駅―川越駅線などが一日数往復運行した。昭和六〇年現在は四つのバス路線があるが、モータリゼーションの進展から利用の減退している路線もある。