教育方法は、寺小屋における個別的教授法から西欧の学級組織による一斎教授法へと転換が図られた。また、進級と卒業のための試験が行なわれ、生徒の進歩によっては定期をまたずに臨時試験を行なうこともあった。
六月の農繁期には、生徒が農作業の手伝いを行なうため、一ケ月間全校が休みとなった。暑い盛りには、半日授業も行なわれた。
教科書は、当初は翻訳教科書と文明開化を誘導する一般啓蒙書が主に用いられたが、後に文部省は新しい教科書の編集を手がけるようになった。以下は、明治八年一月から一〇年一二月までの間に鶴ケ島学校で購入した教科書類である。
大日本国盡(一冊) 年号皇名本(一冊) 小学習字本(一冊) 筆算教授次第(三冊) 世界地図(一幅) 単語篇読解(一冊) 万国史略(三冊) 小学読本(一組) 手本書(一本) 博物図(一幅) 鳥類一覧(一幅) 獣類一覧(一幅) 虫魚類(一幅)
明治一五年一〇月には、教育内容の変更に伴ない「鶴ケ島学校設置願」が出された。これは従前の学校の再編に関わるもので、敷地や建物等の変更はなかったが、「埼玉県小学校教則」に基づき校則の制定等がなされている。