県立高等学校の誘致は、早くから期待されていた。既に昭和四七年一月には「鶴ケ島町総合振興計画基本構想」に県立高校誘致が提起されていたが、人口急増による小中学校建設に追われ具体化するには至らなかった。
五一年三月、鶴ケ島町県立高校誘致対策委員会が発足、以降誘致運動が強力に推進されることとなり、同年八月には県議会で同委員会提出の請願が趣旨採択された。
五四年に入ると、五七年四月開校に向けて用地獲得のための活動が開始され、町を挙げての署名運動が展開され、県知事への陳情書も提出された。その結果、五七年四月一日、大字高倉九四六番地に埼玉県立鶴ケ島高等学校が開設された。