社会教育という言葉が使われるようになったのは戦後のことで、それまでは通俗教育などと称されていた。この通俗教育の中心を担ったのは青年会(青年団)で、日露戦争後の社会主義的思潮などへの対抗措置として組織されたものである。従ってその活動は、愛国心や愛郷心の昂揚を思想的な核として、地方改良的性格と補習教育的性格とを有したものといわれる。
明治三九年(一九〇六)、県は「風儀ノ矩、正徳智ノ啓発、体格ノ改良其他各種公益事業ノ封助等ヲ目的」として、旧来の若者組的な組織を改めて、新たな青年団体を編成するよう通達を出した。これにより、県内の青年団体は急激に増加し、鶴ケ島でも明治四三年一〇月に鶴ケ島村青年会が発足し、前年既に結成されていた高倉青年会などを含めて各字毎に支部会が作られるようになった。会則は以下の通りである。
鶴ケ島村青年会々則
一名称 鶴ケ島村青年会ト称ス
二目的 イ智徳ヲ修養スルコト ロ実業ノ発達ヲ企図スルコト
ハ勤倹ヲ実践スルコト ニ公共事業ヲ励行スルコト
ホ風紀ノ改善ヲ期スルコト
三組織 イ会員 本村ノ青年トス
ロ役員 一、会長一名村内名望家ヲ推薦ス
二、副会長二名第一第二小学校長
三、幹事四名会長ノ指名トシ任期二ケ年
四、評議員各支部会三人乃至五人
ハ賛助員 本会ノ趣旨ヲ翼賛スルモノ
ニ顧問 本村有力家ヨリ推薦ス
ホ総理 本村々長トス
四会期 イ一月 ロ九月
五事業 イ実業上ノ講話講習 ロ会員ノ実践及研究事項発表
ハ実業ノ視察 ニ品評会 ホ会報ノ発行 ヘ団体旅行
ト右ノ外会員ノ有益ト認メタル事項
六事務所 第一鶴ケ島尋常高等小学校内ニ置ク
七支部会 脚折支部 高倉支部 下新田支部 中新田支部 町屋上新田支部 三ツ木支部 太田ケ谷支部 藤金支部 上広谷支部 五味ケ谷支部 戸宮大塚野新田支部
八帳簿 イ会員名簿 ロ議事録 ハ記録 ニ会計簿
各支部会では、字内有力者を役員に頂き、幻燈機や書籍の購入による学術研究、講話や演説会開催、撃剣の練習、農業技術の習得、ボランティア活動、俳句会開催、等の事業を行なった。