村青年団の活動として注目されることの一つは、運動、とりわけ陸上競技の盛んであったことであろう。村の青年団員に、様々な競技会において優れた成績を残し、鶴ケ島の体育・スポーツの振興に大きく貢献した。
また、処女会は昭和二年女子青年団と名称を変更、昭和八年には青年団も男子青年団となっている。この当時の青年団の団員数及び活動目的は、『鶴ケ島村勢要覧』(昭和一〇年)によれば、以下の通りであった。
名称 | 団員 | 目的 |
鶴ケ島村男子青年団 | 一八〇 | 智徳ヲ涵養シ身体ヲ鍛練シ以テ健全ナル国民善良ナル素養ヲ得セシムルニアリ |
鶴ケ島村女子青年団 | 九五 | 女子ノ智徳ヲ涵養シ必須ナル技芸ヲ練習シ良妻賢母タルノ基礎ヲ作ルニアリ |
青年団は、戦時体制の強化とともに、大日本青少年団、大政翼賛会、学徒隊、国民義勇戦闘隊へと組み入れられていった。鶴ケ島村青年団も、昭和一六年解散となった。
昭和12年頃,青年団による県道補修奉仕事業(柳沢釼太郎氏提供)