資料に見られる雨乞行事

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 明治六年頃にかかれた「村誌編輯」によると昔から、日照りの時は池頭にある雷電神社前で降雨祈願した。また、伝承によると次のように書かれている。
 寛永(一六二四~四四)に、それまで広大な雷電池であったが、池を縮めて水田を造営することとなった。居場所を狭められて、大蛇はいたしかたなく上州雷電の池へ移転してしまい、祈雨の効験が薄くなってしまった。
 安永、天明の頃(一七七二~八九)善能寺住職の隆英法印の時代には、その効験が別して顕著であった。
 文化・文政の頃、(一八〇四~三〇)にもなお効験があった。
 天保(一八三〇~四四)になるといくら雨を祈ってもおしるしがなかった。
 脚折雨乞行事として現在の姿にほど近い記録としては明治十年(一八七七)の記録が見られる。(田中佐平太の日記)
 七月十七日 (白鬚神社)拝殿に村中の者が集まり、雨乞と池さらいを決める。
 七月十八日 板倉雷電へ三人行き、その他の人々池さらいをする。
 七月十九日 雨乞のため村中一同鎮守へ集まり、板倉御水十時頃来る。午後雷電社へ行き、蛇を池中へ入れ祈る。
 脚折雨乞行事を実施する時は「雨乞行事一切控え帳」に諸経費や注意事項が記録されている。散失しているものもあると思われるが、現在確認されている限りでは明治七年(一八七四)、明治二十六年(一八九三)八月、明治二十七年(一八九四)八月九日、昭和四年(一九二九)八月八日昭和七年(一九三二)八月七日、昭和八年(一九三三)七月二十五日、昭和九年(一九三四)八月二十八日、昭和二十二年八月十六日(一九四七)昭和二十四年(一九四九)八月十二日昭和三十九年(一九六四)八月九日に行われている。
 その後は、脚折雨乞行事保存会が結成され、昭和五十一年八月八日、昭和五十四年八月五日、昭和五十九年八月九日昭和六十三年八月七日、平成四年八月九日、平成八年八月四日に実施されている。
 なお、この雨乞行事一切控え帳に記載されている諸注意や決めごとなど主要なものは次のとおりである。

雨乞行事のかけ声
 『雨降れタンジャクここにかかれ黒雲』の意味は、雨降れ帝釈天(須彌山の頂上に居る天帝なり)

出発前の注意(昭和七年の資料より)
 一 蛇体担ぎは二列の身幹順に整列し左右に分れて両側の足を持つこと
 二 道中世話人は左右両側に配属し蛇体進行中危険なき様注意すること
 三 池に降りる際は特に注意し静かに進むものとする
 四 行事中は魚を捕獲することを厳禁すること
 五 御神酒の機嫌にて口論、争闘等をせざること
 六 行事の終わるまでは充分個人個人平和的言動にて互いに協力し合い決して行事の進捗を妨害することなき様に心懸けること
 七 見物人に泥水をはねさせぬこと

雷電池での行事
 一 到着後小休憩
 二 大麻行事
 三 祈願
 四 池に御水を注ぎ
 五 御神酒を開き
 六 旧雷電社跡より池に入り南より西へ西より北へ廻ること、五回(三)廻り一旦休憩、御神酒を飲み後二廻
 七 蛇体取壊し、後の二廻り中に取壊しその残体は全て池より外へ出すこと
 八 経費は一切寄付金とし、午後徴収すること
(参加者が持参するもの)
 麦から(刈束二束)と縄三房

神立(雷電)池に建てる幟旗(昭和四年の資料より)
 障子紙五尺のもの六本
 一 天水分神(アメノミクマリノカミ)
   国水分神(クニノミクマリノカミ)
 一 天久比奢母智神(アマノクヒサモチノカミ)
   国久比奢母智神(クニノクヒサモチノカミ)
 一 高龗神(タカオウカミ)
   闇龗神(クラオウカミ)
 一 級津比古神(シナツヒコノカミ)
   級津比咩神(シナツヒメノカミ)
 一 産土大神(ウブスナノオオカミ)
   雷電大神(ライデンノオオカミ)

雨乞行事の行列順(昭和四年の資料より)
 一 大貝吹 二 幡 三 大蛇 四 御神酒
 五 雑器具 六 予備員

雨乞行事の行列順(昭和七、八、九年の資料より)
 一 ホラ貝 二 大麻神職 三 幡 四 大字幡
 五 御神酒 六 大蛇 七 蛇体支柱棒

資料にみられる戴水の儀と実施日
  明治26年 明治27年 昭和4年 昭和7年 昭和8年 昭和9年 昭和24年 昭和39年 昭和51年 備考
協議 8月12日 8月 8月7日 8月6日 7月24日 8月27日 8月11日 8月8日 6月27日 39年は午後8時集会
実施日 8月15日 8月9日 8月8日 8月7日 7月25日 8月28日 8月12日 8月9日 8月8日 22年8月16日に実施
経路 8/13 荒川橋 金銭関係の資料しかない 加須 松山 松山 松山 坂戸 東松山   昭和24年の資料によると正当な経路として松山町→東平→吹上→行田→昭和橋→館林→板倉を別記している。
熊谷停車場 利根川 鴻巣 鴻巣 鴻巣 松山 熊谷
長野 板倉 行田 行田 行田 鴻巣 妻沼
戸隠山 鴻巣 館林 館林 館林 行田 館林
8/15 長野 松山 板倉 板倉 板倉 熊谷 板倉
上尾(馬車) 坂戸       妻沼  
川越、寺山橋         小泉  
上戸         館林  
天沼         板倉  
  藤金            
行先 信州戸隠山   板倉雷電 板倉雷電 板倉雷電 板倉雷電 板倉雷電 板倉雷電 板倉雷電  
交通手段 徒歩、汽車、馬車、リレー   自動車 自動車 自動車 自動車 オート三輪 自動車    
出発時刻 8/13夜明け     8/6 7/24 8/27 8/11 8/8 7/31  
    午後11時 午後11時 午後11時 午後7時 午後11時 午前11時  
行先到着 8/13夕方     8/7 7/25 8/28 8/12     昭和24年の板倉出発は、午前1時
    午前3時 午前2時30分 午前3時 午前0時30分    
脚折到着 8/15   8/8 8/7 7/25 8/28 8/12 8/9  
川越午後4時   午前5時 午前5時 午前5時30分 午前5時30分 午前3時30分 午前5時  
蛇体作成 御水が届いてから蛇体を作製 8月1日  
結果 降雨あり 不明 9日降雨 行事中降雨 不明 5日目少量 10日降らず 9日半日降雨 24年は月末少量降雨
その他 神水を取るため1日2里半の山道を歩く 行事終了後寄付金を集める 激しい雨の為神酒は社務所で飲む   渡御は新道で使用産物払い下げる 蛇体重すぎ材料は競売 軽く作ったつもりが重い 善能寺へまわる。町指定文化財 昭和50年保存会結成
○明治26年実施の残金を翌年実施の経費として明記している。
○明治27年は予告どおり実施している。総計費5円44銭1厘の内、5円は酒代である。蛇体費用は、前年が55銭2厘であり、ほぼ同額である。(戴水の儀の費用が計上されていない。) 
○昭和9年実施の際は、残物処理として払下げ、松3本1円5銭、杉中棒30本1円75銭
○昭和24年実施の際は、残物処理として競売により処理し、3,575円の収入があった。
○昭和39年実施の際は、残物処理は個人、池の台部落。


記録にみる竜蛇の製作材料
  明治26年 明治27年 昭和4年 昭和7年 昭和8年 昭和9年 昭和24年 昭和39年 昭和51年
宝珠、目、歯、尻剣 金紙 4枚 金紙 4枚 金紙 8枚 金紙 10枚 金紙 10枚 金紙 20枚 金紙   金紙   金紙  
        銀紙   銀紙 10枚 銀紙 10枚 銀紙 20枚 銀紙   銀紙   銀紙  
杉皮中弐尺5寸 壱枚 杉皮板ニ尺 ボール紙 2枚 ボール紙大 2枚 ボール紙大 2枚 ボール紙大 3枚 4分板   ベニヤ板 1枚 ベニヤ板 1枚
色紙 44枚 色紙 58枚 色紙 30枚 赤色紙 20枚 赤色紙 20枚 赤色紙 30枚 赤色紙大判 6枚 赤紙   赤色スプレー
尻剣(芯) 杉六分板 壱枚 杉六分板 壱枚               4分板   4分板   5尺板  
                        巾6寸、長さ6尺 銀色スプレー
耳(編上)             350房 350房 350房     10玉 15玉
目、鼻、宝珠(竹細工)             竹4寸位 1束 竹4寸位 1束 竹4寸位 20本 真竹 6本 真竹4寸のもの  6本    
ひげ、胴体(担ぎ棒角含む)             小麦わら 200束 小麦わら 200束 小麦わら 200束 孟宗竹 24本 孟宗竹 8~9寸25本 小麦わら 570把
        孟宗竹 20本 孟宗竹 20本 孟宗竹 20本 20本 孟宗竹 80本
        雑木 20本 雑木 20本 13本            
帳簿 半紙 5帖 半紙 5帖 上半紙 5帖 上半紙 5帖 上半紙 5帖 上半紙 5帖 半紙          
角(巻物)         紅白新毛斯半反 紅白新毛斯半反 紅白新毛斯 紅白新毛斯          
            半反ずつ 半反ずつ        
麻紐   麻紐   麻紐    麻紐   麻紐   麻紐   麻紐   麻紐 麻紐  
      障子紙   障子紙 2本 障子紙   障子紙   障子紙   障子紙  
      2本張分   2本張   2本張   5尺のもの6本 5尺のもの6本  
ひげ(包)                         障子紙 8本張 障子紙   銀紙  
                        ボール紙 5枚 ベニヤ 2枚 ベニヤ 3枚
                        剣歯 金1尺 キバ
                        門歯 銀5寸 その他
色紙   色紙   色紙                   赤紙   赤紙  
*1空欄は記録のないもの。2 金、銀紙、孟宗竹、真竹の各部位への配分は不明。3 色紙等の接着は小麦粉使用。


雨乞行事諸経費(総額)の移り変わりと物価の比較
  金額(総額) 白米(10kg当日) 天丼(並1杯) 理髪料金
明治 26年 16円42銭6厘 M25年 67銭 3銭  
  27年 5円44銭1厘     4銭
昭和 4年 52円5銭 S5年 2円30銭 30銭 S2年 50銭
  7年 54円22銭         40銭
  8年 67円85銭 1円90銭    
  9年 56円39銭     S11年 45銭
  24年 28,887円 S25年 445円 S26年 80円 S25年 (60円)
  39年 55,283円 S40年 1,125円 S40年 250円 320円
  51年 467,553円 2,740円 600円 1,700円
参考図書:「値段の明治・大正・昭和風俗史」週刊朝日編


記録にみる竜蛇の規模
  長さ 頭部に近い胴回り 角の長さ 頭の幅 鼻の直径 目の直径 宝珠の玉
明治 26年              
  27年              
昭和 4年              
  7年 21.6m 5.40m 3.6m 1.8m 18.2cm 24.2cm 39.0cm
  8年 28.8m 4.50m 3.9m 1.8m 15.2cm 30.3cm 45.5cm
  9年         18.2cm 30.3cm 45.5cm
  24年 23.4m 6.06m 3.6m 1.8m 18.2cm 24.2cm 39.0cm
  39年 36.0m 5.40m 3.6m 1.8m 18.2cm 24.2cm 39.4cm
  51年 36.0m 6.00m 4.0m   18.0cm 25.0cm 45.0cm
参考:古伝によると、長さ21.6m、胴まわり5.45m、角3.8m、頭3.8m、鼻18cm、目24cm、宝珠39cm