本年は春より降雨少なく水田の作付も六月半となり、六月末より七月初旬に渡り降雨ありたるも、小川を溢れるほどは流れず、高温多湿の毎日は農作物の成長良く、農林省の予想によれば本年も全国的に大豊作になりと発表したり。
しかしながら七月半より降雨ほとんど無く、あまつさへ日中三十度を超える炎暑は実に半月に及び、陸稲はすでに枯渇寸前にあり、水田はひび割れ、小川は流るる水を失い、雷電神社の社前において例祭の御神酒を取り交わす時、誰言うことなく「雨乞」をやって農作物を助けよう。やるなら早くとなり、ちょうど明日九日は日曜日で勤め人の多い昨今では、人的資源を多量に必要とする行事は日曜でなければと言うことになり、ついては今晩大字集会を開いて決定することとし、各区長はさっそく各区に帰り、一般に通達せり。
八日午後八時に集会し、拍手により速決し午後十一時には九名自動車二台にて御水拝受のため群馬県板倉村行きは出発する。
九日午前五時無事御水は到着する。午前七時麦わら三束ずつ持ち、続々集まってきた大字民は田中委員長の役割発表にも一言の反対もなく、各々その部所に励んだ。
午前七時半ラジオ文化放送は東京都の水飢饉の折り、全国にも珍しい雨乞行事が十五年ぶりに埼玉県の鶴ヶ島村で今日行われると放送した。(中略)午前十時、白鬚神社鳥居の北側には立臼を十個借り集め台として並べ、その上に竹を足とし、骨として大蛇は頭と口を残し、すでに形を作り、十五年前につくった時よりも大きく記憶を辿りつつ、前の経験を生かす者に見習いつつ若き力と智心よくスムーズに運びたるは感賞せざるをえない。(中略)
一天雲無く炎熱焦がごとき油蟬の声にも汗が溢れる午後一時頃には実に見事な大蛇が大きな口を開き完全にできあがった。各自帰宅し、昼食を急ぎとり、午後二時身仕度軽き十六才より六十才の壮者一同白鬚神社に祈願し、おはらいの後、注意事項の言い渡しを受け、総勢実に二百余人かけ声逞しく担ぎ上げ法螺貝の鳴り響くとき馳せ参じた観衆多く干天続きで乾き抜いたる日光街道を南へ進めば砂ほこり、えんえんとたち、勇壮無類たちまちにして通学道へ左折しえんえんとしてうねり行けば道芝を圧して道狭し法螺貝の響きとかけ声はものすごく、越戸の坂を登り池の台の雷電神社前に大蛇を支柱を立てて置けば全員全身に汗を流すありさまなり。
宮司宮本豊太郎氏の祈禱水注ぎの儀をなし、御神酒を頂き蛇体を担ぎ、徐々に雷電神社前より池の東北へ入る。生い茂った樹々の間より口を開いた蛇が音もなく、せい然と池の水面に体をくねらす姿は神秘の極みと言うべし。
池の中央に立ちたる幟旗が何時か風を呼んではためく時、大蛇は南より西へ、西より北へ、北より東へと泳ぐこと三周、池の水が少ないため全員すでに泥に汚れて真黒く、いったん休憩し、雷電神社前にて御神酒をたいらげ、全員再び池の中に入り大蛇を二周する間に取りこわすとき泥水にまみれた人と大蛇と池中に狂い乱れ、まさに黒雲を呼びたるがごとし(以下略)
昭和三十九年「雨乞行事一切控帳」
昭和39年の雨乞行事渡御のルート