雷電池(かんだちがいけ)

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 脚折の雨乞は雷電池(かんだちがいけ)を主要な祈願の場としている。雷電池は昔から降雨に関係の深い池であったらしい。近世の初めからこの池は「神鳴り」「雷耕」「雷神」「雷電」「神立」などと呼ばれてきた。
 カミナリは神の鳴動であり、カンダチは神がそこに立ち現れることである。近世にはこの池は雷と夕立の発生を特色とする名勝としてしられ、「電池過雨」という題詠で詩歌に歌われた。要するに水神の棲むムラ共同体の聖地であったわけで、元々雨乞が行われる適地であったといえる。
 八景についての当地文人たちの漢詩や和歌が文政五(一八二二)年の「隣里八景詩歌集」に載っている。
 明治六年頃に書かれた「村誌編輯」によると、池の大きさは東西十二間、南北二十四間、周囲一丁二十五間あって、田七町余の用水に供していた。
 この池は元来もっと広大であった。その広さは明らかでないが、七町以上あったと思われる。それは、池を開拓して田としたといわれるが、その田の広さが明治初年に七町余と記されているからである。もっとも、この広さは脚折の分だけだから、下流の坂戸分を入れるともっと広くなる。この広大な池の中に大蛇が住んでいた。時代が下ると湧水が少なくなり、寛永(一六二四年~四四年)にはとうとう池を縮めて水田を造成することになった。住所を狭められて、大蛇は致し方なく、上洲雷電の池へ移転してしまったという。祈雨の功験が薄くなったのはそのせいであろう。


雷電池