雷と蛇とは一体である。また、雷と竜とも一体である。それで蛇と竜も一体だということになる。
古代には、雷神は蛇の形をしていると信じられていた。雄略天皇の時代(四七八年頃)、少子部(ちいさこべ)スガルが、三諸(みもろ)山の神の姿を見せよ、との勅命によって、三諸山に登り、大蛇を捕らえて献上した。
天皇は斎戒(さいかい)(心身を浄(きよ)めること)をせずそれを見ようとしたところ、雷光が輝(かがや)いて見ることができなかったという。この話では、三諸山の神は雷神で、蛇の形をしていたというのである。(「日本書紀」巻十四)
次に、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が火の神の迦具土(かぐつち)神を生んだとき、火傷で死亡した。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は怒って迦具土神を三段に切った。すると、各段ごとに神が生まれた。雷神と山祗(ずみ)(山神)と高龗(たかおかみ)(山の竜神)の三神であるという。この話は、雷と竜が一体だと考えられていたことを示すものである。(「日本書紀」)巻一)
こうして、雷と竜と蛇の三者は一体となるのである。
竜は元来、大蛇に角をつけ、四足を添えて、蛇の威力を神格化したものである(樋口隆康「竜の起元」)。それで、大蛇は身分が高まれば、竜へと姿が変わるものである。しかし、大蛇は実在するが、竜は実在するものではない。それで、現実的(リアル)に考えて、その実在を信じる人は、これは大蛇だといい、大蛇の霊験を讃えたい人は、雲を呼び、大空高く昇って雨を隆らせるのは、もう大蛇ではなく竜だといい、蛇だか竜だか、正体がわからなくなる。これは一口に「竜蛇信仰」といわれるものであるが、脚折の場合でも、製作の段階では大蛇であるが、渡御(とぎょ)の段階では竜神と呼んでいる。
要するに、この竜蛇信仰の基本は、やはり水神の表徴である蛇の信仰にある。水神を現実に実在する蛇の姿で表わし、やがてその蛇が高まって竜になったのである。また、雷は雨に付随するものだから、当然、水神と雷神が一体となったのである。ちなみに、カンダチは神がそこへ立ち現われる、すなわち神の示現(じげん)であり、カミナリは神が鳴る、すなわち神の鳴動である。