1 ガスリンカー

 高麗川の川砂利運搬のため、越生鉄道機関車※1が数輛の貨車を引いて坂戸~高麗川東岸まで5kmの運行を開始したのは、昭和7年(1932)のことである。当時は機関車より吐き出す煤煙で火の粉が飛び、沿線住民に火災の危惧を持たせたのであったが、昭和9年(1934)12月から森戸~越生間(5.9km)が開通し、坂戸~越生間を「ガスリンカー※2」運行が始められた。沿線住民に初めての鉄道の交通機関として、大きく明るい期待がもたれたものであった。ガスリンカーは乗客定員40名、1日9往復で日に167人、月間5000の乗客輸送が目的であった様である。(『東武鉄道の80年』参照)

 ガスリンカーは観光バス位の車で、長さ7m37cm、幅2m60cm、出入口は前後2ヶ所で運転手は丸ハンドル(手動ブレーキハンドル)を握り車掌は革の鞄(かばん)を肩にかけ鋏(はさみ)を持って立っていた。今の一本松駅は停留所で(上新田の大家停留所も同じ)無人のため乗車してから切符を買い下車には車掌に手渡してくるので、たまに無賃乗車する者があったと伝えられている。

 ガスリンカーは最高速度30kmで、走ってくる客に対しては停留所で待つことがしばしばあった。戦時中ガスリン節約で木炭カーに変身したこともあったが、木炭カーは木炭ガス発生不調の時運転手が乗客に頼んで後押しさせた逸話の持主である。

 昭和18年(1943)東武鉄道が越生鉄道を買収、昭和21年(1946)には機関車がガスリンカー2台を連結したこともある。昭和24年(1949)に停留所前高篠宅で切符の委託販売が指定され、乗客の便を計った。これは16年間続いた。今の様な電化は昭和25年(1950)で、この時を境に開通以来沿線住民に親しまれてきたガスリンカーは姿を消したのであった。


※1:越生鉄道株式会社 資本金35万円

   東武鉄道買収価格 27万円 (『東武鉄道の80年』による)

※2:ガソリンカーのこと。ガソリン機関による駆動装置を有する鉄道車輛。